シートン甘くみる
だから例えば、例に挙げて申し訳ないが、池田信夫氏、壊れる - シートン俗物記に見られるような言い方はちょっと楽観的に思う。
実際には、小説というのはフィクションなのかどうなのかというのが曖昧な作品が非常に多く、とくにモデル小説と言われるような分野については、これまでも何度か訴訟はなされ、フィクションであるあるいは「私小悦」という立派なジャンルである等の言い訳は(じっさいに一字一句このような言い訳をしたわけではなかろうが)通用せず敗訴したりしている。最近では柳美里氏の事例が有名であり、他には三島由紀夫、高杉良、清水一行などの小説家の作品の事例がすぐ検索できる。
http://d.hatena.ne.jp/yamatedolphin/20071201
(素通りできなかった時のために)
なるほど。おっしゃるとおりです。柳美里さんの訴訟とか若干頭にありました。
ただ、自分の中で
たぶん、「フィクション」を元に「訴訟」する人が居なかったからじゃないですか?
としたのは、「大江健三郎」氏個人に関してのつもりでした。
氏には「沖縄ノート」の他にも「宙返り」とか「セブンティーン」などがあるわけで。
これらも訴訟沙汰になっていたなら、自分の認識不足ですけど。
確かに、この裁判では表現を巡ってまだまだ、あーだこーだ言い合うんでしょうね。的確な解説に感謝いたします。
実は、三島由紀夫の訴訟といえば「金閣寺」「宴のあと」ですけど、ふと頭に浮かんだのがコレなのはナイショだ。
追記:id:gryphonさんの御指摘により、訂正いたします。
誤:「金閣寺」
正:「宴のあと」