シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

前回エントリーにお返事

少し時間が出来たので、前回のエントリーに返事しておきます。


「科学的基準 キリッ」じゃすまない、って話
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20120320/1332247961


岩手県民さん

岩泉町長の意見をさも被災地の代表意見のように誘導するのはアンフェアであると考えます。

えー、私、こう書いてますが。

べつに、これだけが地元の意見って訳ではないでしょう。


載せておいたサイト以外に、こういう意見もあるようですね。


「がれき広域処理に疑義 」二木啓孝さん3/14文化放送くにまるジャパン(内容書き出し)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1640.html


だから、妥当性について議論したプロセスを公開して欲しいのですけどね。


こいしさん

戦争の加害の歴史を事実として引き受けようということと、放射線の影響(疫学的には検出不能なほどの小さなものであるが、心理的影響は大きい)という被災地の痛みをけ入れようということが同列に語られるべきと思います。


全然違います。戦争責任を引き受けること、とは、構造と責任を明確化し、再発を防ぐこと、です。同じ事を原発事故に適用する場合、何を意味するか考えてみてください。
あなたの主張は、たちの悪い「一億総責任論」にほかなりません。


kgofbostonさん
原発というのは、それ自体が政治的価値観に基づき造られ、支えられてきたわけです。にも関わらず、その政治的価値の評価を無視して、科学的基準“のみ”で評価しようとする事自体、政治的振る舞いである事に気づかないのは最悪ですね。


fnorderさん
Apemanさんのところで出た話通りです。科学的価値・評価がダメだ、という話ではありません。おおざっぱに云うなら、原子力業界とアカデミズムはあまりに密接に関係しすぎた。したがって、アカデミズムからの発言は弁解と取られても仕方がない。言葉を信用して欲しいのなら、受け入れない相手を愚か者扱いするのでは無理。そういう話です。


Wallersteinさん 時々拝見さん つうこうにんさん uchya_x さん 
サンクスです。


あと、ブクマの方にも返答

おやまぁ/そもそも「反原発派」の連中が政府・東電じゃなくて被災自治体・被災者に攻撃の矛先を向けているというのにねぇ

何を指して述べてるんです?差別的言説への対応については、本文で述べたとおりですけど。

シートン先生にしては観測範囲狭過ぎ。正しく恐れよの人の多くは反原発

いやぁ、原子力の持つ問題に踏み込みもせず「オレは反原発」とか云っても意味無いし。私は、地域的にも労働者においても差別構造を持つがゆえに原発に反対しているのですが、あなたは何がゆえに反原発なのですか?

正しく怖れることが出来ない連中が、ゼロリスクを貫こうとして、結果的に、被災地住民を差別したり、被災瓦礫や被災地の産品を忌避しているという現状について、何の懸念も感じないのかね、この人は。

本文に書いたとおりです。「結果的に」差別する、という事はありません。差別は差別のために理由を求めます。だいたい、そのコメント通りなら正しく怖れた結果なら差別してもいいように読めますよ?放射性物質汚染に対して正しかろうが正しくなかろうが、差別はダメです。
被災瓦礫に関しても本文に書いたとおり。なぜ、全国にバラ播く事を受け入れないと「差別」という考えなのかさっぱり判りません。


ついでにハッキリ書いておきますね。静岡にも福島から避難してきた親子が何組もいます。こうした県外避難した彼らに、特に母親に対する心ない仕打ちとは、避難してきた事を「過剰に怖れて、正しく判断できない」無知扱いすることだ、と言っています。それをどう思うのですか?

え〜w地下に隠してあるモビルスーツで明日自分のとこの大学関係者を一人残らず皆殺しにするくらい言ってくださいw

モビルスーツの動力源は原子力核融合)なので、ゴメンです。

例えば避難しない福島県民を鬼母呼ばわりするような行為が非難を浴びるのは当然だし、そうした行為はむしろ反原発運動の足を引っ張っていると思うが。

そうですね。仰るとおりでしょう。同時に、避難した福島県民をバカ母呼ばわりするような行為が、「正しく怖れよ」の主張に対する説得力を失わせているのです。

差別は差別で独立して問題にしている人は多い。過度な不安や不要な避難リスクによる健康被害が「正しく恐れよ」系の本丸なんだが。/ あと被災地の一部の発言を都合よく切り取って瓦礫処理を語るべきではないよ。

この期に及んでも、「過度な不安」ですか。過度か適度かの基準ごと信頼されていない、という事にどう対処するか、という話なのに。
「不要な避難リスク」って、避難リスク(ストレス)なんて、放射線被曝以上に影響を測るのは困難ですよ。なんで、簡単に避難リスク、なんて言っちゃえるかな。

動機と理由を切り分ける必要があるのは同意だけど、だからこそ、原子力ムラの作為と「正しく怖れよ」も切り分ける必要があるでしょ? 反原発と矛盾しないんだから。その辺りの補足が薄いから、変な対立を産んでる感

そうですよ。どう切り分けるか、の話をしているんです。切り分けるには、事実の提示、では済まない。スタンスを明確にしろ、という事なんです。

無駄に広げた風呂敷を畳もうとして滑ってる感。どのみちこの問題で具体論に踏み込まない不誠実さはよくわかったから。敵と見なせば何をやってもお構いなしなのねここらの人は。

『「正しく怖れよ」は、大体において原発推進側の宣伝広報の惹句』 こんな先入観があるからあんなピンボケな記事書いたんだな。反原発してない奴は敵だって発想はどうかと思うよ

批判されたくらいで、「敵」? 随分、せこい認識なんですね。私は「正しく怖れよ」な人々を敵と思ったことは一度もありませんよ。ついでにいえば、「オレの言葉を理解しないバカども」とも思ってません。
私は歴史修正主義者(=レイシスト)は敵認定しますが。彼らに対してはこんなにヌルい書き方しませんよ。読んでみれば判ります。

不安の原因である原発の構造を解体しないと「正しく怖がれ」は通用しない。なぜならアカデミズムもその構造の一部だから、って感じなのかな?

そうですね。より正確に言うと、アカデミズムもその構造と重なっている部分があるから、というところです。
こういうのが出てきますからね。


ネットジャーナリスト協会
http://www.netj.or.jp/


ここにはいろんな活動が掲載されていて笑ってしまいます。会長は元文科相にして東大総長でもあったことがある有馬朗人氏。なかなか香ばしいサイトなので、結構皆知っているとは思いますが。

差別に繋がるから過大視はダメ、じゃなくて、「私の身体への影響」が中心化されること自体、反原発運動に限界をもたらすと思う。正直、指が入っただけでも怒っていいんだ、という前の記事の方が得心できる

被災者側から見た話が、前々回の小咄です。そして、「正しく怖れよ」側から見た話が前回の話でした。反原発活動の限界は、自分に影響が無ければ許容するのか?の問いに答えられるか、で決まるでしょう。

まあ俺の読解力不足なんだろうけど前エントリは、まさかシートン先生が被災者差別はありえんにしても差別の後押しをしている印象は持ったね

とりあえず、参考文献には目を通してみてください。「被曝と補償」はオススメですよ。

防護最適化の政論(政道)に相違はないのに、「正しく怖がる」は現代科学の粋(精華)で、「被曝は能限り避ける」「非拡散」「管理区域内線量」等の指針は差別の温床ともなる旧習(感情論)と一蹴されたのが解せぬ。

そうですね。でも、解せない、わけじゃないですよね。彼らには、そういう恣意的な選別をする事に意味があるわけです。

なんでこんなにアカデミズムを嫌ってるのかなと思ったけど、そういえば昔のサヨクって産学協同粉砕!だったわ。

嫌ってなどいないし、産学協同も粉砕などしません。共同研究を複数抱えて、特許料まで貰っている身ですからね。ただ、それゆえに自らのポジションを省みるようにはしています。

欠如モデルにしがみつき続ける限り、彼らの言葉は届かない。

ただ、それだけの事なんですけどね。その事に気づかないのは、バカだから、なわけじゃない事は確かですが。

反省してから語れとか言ってたら反省なんかしないでみんな閉じこもっちゃうような気がする(いつか来た道のような) / 誰からお金を貰って発言したかより発言の中身の妥当性で判断した方がいいと思うよ

また、堂々巡りですか。「発言の中身の妥当性」を疑われているんですって。それにしても、そんな事で閉じこもるようならドヤ顔して「正しく怖れよ」なんて言わなきゃいいと思いますけどね。

私達は皆、行政不信だったり放射能が不安なだけで、東北を差別するつもりなんかないんです、そこは切り離して。といわれたら、被災者は黙るしかないだろう。いくら不安でもとりあえず行政の指示に従うしかない彼らは

なんで被災者は黙るしかないの?その理路がさっぱり判らないが。それに、行政の指示に従うしかない?そんなバカな事考えているの?まさに、そこを行政に対してキチンと説明しろ、対処しろ、誤魔化すな、と働きかける事が大事なのに。


では。