シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

カーシェアリング

時間が無いので、一旦お蔵入りした原稿を上げます。

車の共有都心でじわり
カーシェアリング」が東京、横浜など都市部を中心に広がっている。あらかじめ登録した会員たちが車を共同利用する仕組みで、行政の後押しに加えて駐車場の確保に難しさ、燃料の高騰もあり、「マイカーより安い」と会員が増えている。カーシェアリングを売り物にするマンションも出てきた。
朝日新聞 2006.9.9 夕刊)


プチブル新聞、朝日らしい記事だ。会員数が700人で「じわり」って、日本の車の登録台数知ってんの?7600万台以上、だよ。じわり、ってよりまるで、という方が当たってるだろうに。なにより、車が必需品でない都心でやってもしょうがないだろう。車が必需品(と考えられている)地方で可能かどうか考えないと。


地方での車の扱いを見てみるとわかる。新車展示場や中古車屋は年々展示場が大きくなっていく。車のパーツやオプション、カーオーディオやナビを扱うオートバックスイエローハットのようなカー用品店は大盛況。コイン洗車場では車を熱心に磨いている。地方においては車はツール(道具)ではなく、アイテムなのだ。それぞれの人が自分の車を愛着を持って、財産と見なしている。ツールと割り切ればシェアリングは可能だろう。しかし、地方ではシェアリングは受け入れられない。しかも、大多数の人にとって利用したい時間帯は重なっている。丁度良く利用が重ならないようにすることは不可能だ。まだ、レンタカーを拡充する方がマシというものだろう。


なぜ、ハッキリと自家用車使用に対するディスインセンティブ(負の動機付け)を行わないのだろう。それを語らなければにっちもさっちも行かないよ。