「科学的基準 キリッ」じゃすまない、って話
ども、本家と違って連載再開しても歓迎されるか不安なシートンです。
さて、前回のエントリーでだいぶ揉めくらかえったので、追加エントリーを上げることにしました。間が空いて申し訳なく思いますが、今しばらく纏まった文章を書いている余裕がありませんので*1。
ま、前回の小咄の主題はもちろん、客=福島の被災民、東電・政府=店員、別の客=エア御用、ですから、「お前は被災者を差別するのか!」にはビックリしました。文末に載せた参考文献に目を通せばすぐ判るのに。私、アフェリエイトはやってませんから、掲載されている文献の情報を見ても大丈夫ですよ。「シートンを儲けさすのはイヤだ」なんて思わないで、ちょっとは目を通してみてください。
前回のエントリーで云いたかったことは単純です。
「科学的基準、キリッ」じゃすまない、ということ。
丁寧に説明すると、以前コメントとして書いたこちらになります。
歴史修正主義と「欠如モデル」(Apes! Not Monkeys!本館)
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20111121/p1#c1321951302
こちらのコメント欄は私はチョロッと書いただけですけどとても参考になります。よく読んでみてください。
あとは、気になったところに返答いたします。
比喩をはなれたところで気になることをひとつお聞きしたいのですが。
「正しく怖がれ」に権威主義的な性格があることは認めます。
ただ
「正しく怖がれ」と脱原発、あるいは「正しく怖がれ」と東電・政府の責任追及、は論理的にも矛盾しませんし、実際に両者を主張しているひともいます。このエントリの理路では「正しく怖がる」がそのまま原発の肯定であったり、東電・政府の責任軽減に直結しているかの認識に思えて気になりました。
そのあたりはどうお考えでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20120229/1330524920#c1330606544
責任追及*2と「正しく怖れよ」は両者併せなければ無意味。というのが私の考えです。切り離す事は有害無益です。で、「正しく怖がる」を主張する人で、責任追及を行っている人、というのが皆無に見えたので、前エントリーを上げたわけです。ちなみに、地下猫さんはその珍しい一人と云えると思います。
というのも、「正しく怖れよ」は、大体において原発推進側の宣伝広報の惹句として利用されてきたからなんですね。朝日新聞の「プロメテウスの罠」はなかなかに力の入ったルポになっていますけど、夕刊の「原発とメディア」もなかなか読ませます。そこには、原発反対を抑え込む手段としての「正しく怖れよ」が利用されてきた経緯が載せられていました。というか、3.11以前の原子力推進派の書いたものに目を通せば、一目瞭然なわけですけど。
アカデミズムと原子力ムラが共生というか相互寄生というべきか、密接に関係していたことを反省しなければ、アカデミズムへの信頼を回復する事は出来ません。闇雲に「正しく怖れよ」と言っても、その「正しさ」の基準ごと疑われているわけですから*3。
逆に言えば、東電・政府(または原子力ムラ)の責任追及に対して及び腰なのは、アカデミズムの問題点に触れられたくない、という意識的か無意識の願望があるためだろう、と考えています。
もちろん、私だって表で原子力政策に公然と反対することは今でも不可能です。実名の方が原子力政策に対して批判できないとしても、それを一概に批判することは出来ない。ですが、「正しく怖れよ」を内面化しているなら、やはりそれは問題だと思います。黙っておくという選択だって可能なわけですから。そうではなく、「正しく怖れよ」、そうできないヤツはバカ、レベルの思考であるなら、批判しないわけにはいきません。
ちょっと、歴史修正主義の話と絡めて説明してみましょう(なぜか、はお判りですね)。
「南京事件」や「従軍慰安婦」問題に関する文献というのは、必ず日本軍が行ったことの背景や構造について触れられています。というより、そちらが主題なわけですね。蛮行はもちろん問題ですが、それをなし得た理由、それを取り巻く状況などについての理解がより重要である、という視点に立っています。
一方で、歴史修正主義者はいきなり「人数」を問題にしはじめます。「30万人殺されたのが信じられないだけ」とか、「人口20万人の都市で30万人殺されるわけがない」とか。物理的に不可能、というテンプレもあります。そもそもクレームを付けるポイントが“そこ”なわけです。そして、一貫して背景や構造について触れようとしません。せいぜい、「戦争だから人が死ぬのは当然」というレベルで済まそうとする。
つまり、彼らは「南京事件」(等の戦争犯罪)と旧日本軍(ならびに日本国自体)が抱えていた問題や戦争責任問題を切り離そうとする。裏返せば、その両方が密接な関係性を持っている事を無視するために、「人数」や「定義」を問題にしたがるのです。
ですから、文献による事実を示しても意味がない。彼らは何度でも繰り返します。その意図は「疑問に対する回答を知る」事には無いからです。
私は、「正しく怖れよ」の人々も同様だろうと思います。原子力の抱えてきた問題は、そのままアカデミズムの問題と直結します。つまり、アカデミズムの「責任問題」ですね。原子力の抱える問題を指摘するには、自らのポジションも批判の射程に捉えなくてはならない。
それを拒むとすれば?
原子力ムラ批判を一切避けて、「科学的基準」だけを押し通す他無くなるでしょう。そして、その意見を受け入れない人々を愚か者呼ばわりしか出来なくなる。それが問題だ、という事です。
現在、原子力ムラの人々は、問題をコミュニケーションの稚拙さに帰そうと考えているようです(日本原子力学会プログラム参照のこと)。つまり、正しき情報を丁寧に判りやすく「理解」させなかったのが問題だ、という事です。
でも、これは根本から間違っています。彼らが自分たちの問題をテクニカルなレベルでしか捉えないのは、自分たちが係わってきたシステム全体への不信を認めることが出来ないからでしょう。その不信に応えれば、自分たちの存立基盤自体が危うくなる。それを見ない振りをするには、人々の抱える不信感を巧く「理解」していない(させていない)という形に押し込む事になる。
ですから、(自らが原子力ムラと一線を画すと考えているならば)「正しく怖れよ」な人々は、「科学的基準」で話を押し通そうとするのをやめるべきです。震災からもう一年になるのです。時間が無かった、優先順位はそっちじゃない、は通用しないでしょ。「科学的基準」を押し立ててた正しく怖れよ」話は、すでに原子力ムラから豊富に供給されてきましたし、震災後も登場しています。
こちらを見れば明らかでしょ?
読んでみたいが、金をだして買いたくもない原発推進本5冊
http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20120307/1331078480
他にもノビーとか金融日記とか、タモさんとか。お腹一杯。
今更、「正しく怖れる」話はこれらと一線を画すスタンスで無ければ意味が無いのです。ま、本音が原子力推進(または維持)にある、というなら、それでも構わないのですが。
これなんか、自殺行為ですよね。
中央公論最新号
http://www.chuokoron.jp/newest_issue/index.html
2012年4月号(3月10日発売)
震災一年 科学は敗北したのか
“敵探し”からは何も生まれない
中野不二男
科学者はフクシマから何を学んだのか
地に墜ちた信頼を取り戻すために
吉川弘之
リスク情報の発信と受信を考える
「原発本」はどう読まれたか
座談会 中川恵一 川端裕人 松永和紀
テクノ・ポピュリズムとテクノ・ファシズムの深い溝
加藤尚武
避難先の方が高線量? 政治と科学に翻弄された福島県川内村
葉上太郎
Opinion最大の懸念は福島の被災者のメンタルヘルスである
斎藤環
ドイツはなぜ原発事故に厳しいか
手塚和彰
「勝ち組」企業を創り出せ─被災地の雇用を復興する処方箋
玄田有史
ま、個人的には、松永和紀は“第二の大熊由紀子”で、中野不二男についても以前書いた覚えがあるので、意外とは少しも思わないけど、。
参考:特集 買収後の“中央公論”がおかしい
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20110913/1315914334
もう一つ。ワッシュさんのエントリーの件です。
犬と福島人は入るべからず - 男の魂に火をつけろ!
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20120305
もともと、差別を否定するのに理由はいりません。差別は差別自体が否定されなくてはならない。
その裏返しもあります。
理由があるから差別をするのではありません。差別をするために理由を設けるのです。今までも散々批判してきましたね。ハンセン病、水俣病、HIV、在日外国人、etc。その系列の一つが放射性物質ということです。
正しき知識があれば差別をしない?そうじゃないですよね。そのような正しい知識を無視し、差別に必要な言説を取り込むだけのことです。
ですから、差別に対抗するには差別自体を問題にして、「差別をするな」と云う事です。
○○を理由として差別〜という言葉がよく出てきますが、だとしたら次の話はどうなるでしょう?
韓国系ロビー団体、日本をおとしめる…米国に“慰安婦の碑”計画
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20120305/frn1203051229001-n1.htm
韓国の李明博大統領が、いわゆる「従軍慰安婦」問題で、日本政府に謝罪を求める意向を明らかにした。こうしたなか、在米韓国系ロビー団体が、米国内に20もの「慰安婦の碑」を設置しようと計画していることが分かった。慰安婦を日本軍や官憲が強制連行したという証拠は何1つないが、同盟国である米国内で日本人の名誉が傷つけられている。
「米国人は人権問題というと、心情的になりがちだ。それにつけ込んで、米国を巻き込み、日本を非難するというのが彼らのやり方だ」
こう憤るのは自民党の新藤義孝衆院議員。在米邦人から「(慰安婦問題で)子供が学校で『日本人はひどい』といわれて傷ついている」とのメールが相次いでいる。
さて、この事自体が事実かどうかは判りません*4。しかし、実際にこうした事が起きているとしたらどうでしょう?新藤議員のいうように「慰安婦の事を過剰に煽るな」と抗議します?違うでしょ。
“慰安婦問題を過剰に煽る”かどうかと差別の問題は切り離さなくてはならない。そういうことです。
放射性物質被曝を過剰に危険視すると差別に繋がる、という話も切り分けなくてはなりません。差別はダメ。放射性物質被曝を過剰に危険視しているかどうかは別の問題です。そちらはそちらでキッチリ論議してください。ただし、「科学的基準」を持ち出すだけでは通じませんよ。
最後に。
被災地瓦礫広域処理問題です。
個人的には瓦礫の処理に関して放射性物質を警戒しているわけではありません。お茶だって普通に飲んでますし。ですが、政府の進め方には不信を感じるのは当然だとも思います。
なぜ、現地の犠牲か広域処理か、の二者択一に押し込められているのか。全国で処理しても三年かかる瓦礫、ということは、最低でも三年放置する、ってことでしょうか?自然発火が問題なら三年も放置で良いの?
瓦礫が置いてあると復興の妨げ、っていうけど、場所的には再開発制限のかかる区域のはずですよね(津波対策で)?
もちろん、どう討論を重ねても、どうにも手の打ちようがないので、引き受けて欲しい、という話なら、仕方ないでしょう。でも、政府の広域処理決定に至る議論は過程不明なのに決定事項で、ひたすら安全確認するから、とお願いで押し通しています。
こんな話もありますね。
復興に向けて 首長に聞く -マイタウン岩手
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001202290001
大震災から1年。暮らしを、まちを、どう立て直すのか。各首長に聞く。
◇
【伊達勝身・岩泉町長】
「現地からは納得できないこと多い」
被災した小本地区の移転先は、駅周辺を候補に用地交渉をしている。近くに三陸沿岸道のインターがあり、交通の要衝だ。
昨年11月、用地買収に向けて価格設定をしようとしたが、国から待ったがかかった。沿岸道の用地買収に影響するという。県もバラバラに進めると混乱するという。そんな調整で2カ月遅れた。被災者には申し訳ない。
現場からは納得できないことが多々ある。がれき処理もそうだ。あと2年で片付けるという政府の公約が危ぶまれているというが、無理して早く片付けなくてはいけないんだろうか。山にしておいて10年、20年かけて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。
もともと使ってない土地がいっぱいあり、処理されなくても困らないのに、税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこにあるのか。
べつに、これだけが地元の意見って訳ではないでしょう。でも、強引に進めなきゃならないほどの根拠は薄いとしか思えません。
こういう意見も出ていますし、これにはそれなりに説得力があると思いますが。
ガレキ問題の真相(3) 石巻市の例から見る
http://d.hatena.ne.jp/Vergil2010/20120318/1332071716
こうした部分を無視して進めるのに反対したとして、それを一方的に非難されなければならないとは、私は思いませんね。
以上です。正常性バイアスの話は、次のエントリーで。たぶん、4月以降になると思います。あ、エイプリルフールの方が先かも。では。
MASTERキートン 8 完全版 (ビッグコミックススペシャル)
- 作者: 浦沢直樹
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/02/29
- メディア: コミック
- クリック: 71回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
- 作者: 朝日新聞特別報道部
- 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
- 発売日: 2012/03/01
- メディア: 単行本
- 購入: 17人 クリック: 200回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
- 作者: NHK ETV特集取材班
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/02/14
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 28回
- この商品を含むブログ (18件) を見る