シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

学ぶとは?

環境という足枷
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20120528/1338173209


みんな「スタンド・バイ・ミー」を読んだ方がいいよ。
あれは、ロブ・ライナーの映画版の“過去の友人との友情を懐かしく振り返る”なんて話じゃないから。
以前、


セーフティネット・クライシス
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080514/1210756931


でちょっと紹介したけど、「学ぶ」事を奪われる、というのがどういう事か、示されているから。

「ジュニア・ハイか」クリスは言った。「おまえ、知ってるか、ゴーディ?来年の六月までには、俺達全員、学校をやめちまうぜ」

「なに言ってるんだよ?なぜそんなことになるのさ?」

「グラマー・スクールみたいなわけにはいかないだろ。だからさ。お前はカレッジ・コース。おれとテディとバーン、おれたち三人は職業訓練コースで、他の低能たちといっしょに、玉突きをやったり、灰皿や鶏小屋を作ったりするのさ。バーンは補習コースに行かなきゃならないかもしれない。おまえは新しい仲間にたくさん出会えるよ。頭のいいやつらに。そんなふうになってんのさ、ゴーディ。そんな仕組みになってんのさ」

「(略)ハイスクールに行って、くそったれの職業訓練コースをとって、消しゴムを投げて、他の不満家たちと足並みを揃えるようになってしまう。居残り。停学。そしてしばらくすると、おまえの関心は車を手に入れて、ひどいブスを踊りにつれていくとか、トゥイン・ブリッジズ・タバーンにくりだすとか、そんなことだけになってしまう。そのあげく、女を妊娠させ、残りの生涯を工場ですごすか、オーバーンの靴屋ですごすか、ヒルクレストで鶏の羽をむしってすごすか、ってことになる。さっきのパイの話は、決して書かれなくなるだろう。なにひとつ、書かれなくなるだろう。なぜなら、おまえが頭の空っぽな、ただの皮肉屋になりさがっちまうからだ。」

(上下とも「スタンド・バイミー」 スティーブン・キング 新潮文庫 より引用)