シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

セーフティネット・クライシス

セーフティーネット・クライシス〜日本の社会保障が危ない〜
5月11日(日) NHK総合 21:00〜22:30
▽崩壊寸前の社会保障の現状を検証▽財源不足▽企業による福祉や家族の支え合いなどの弱体化▽危機の原因と解決ほか
出演 / 出演 金子勝 司会者 町永俊雄
▽崩壊寸前の社会保障の現状を検証し、危機の原因と解決に向けた課題を探る。財源不足による公的保障の後退に加え、「企業による福祉」や「家族の支え合い」も弱体化し、セーフティーネットからこぼれ落ちる人が激増している。健康保険料が払えないために医療を受けられず、死に至った会社員、介護保険のサービス縮小で一人暮らしが立ち行かなくなった高齢者、生活保護から抜け出そうと働き先を探したものの、仕事がなく再び生活保護に頼らざるを得ないシングルマザーらが現れている。日本全体が大きな社会構造の変化に見舞われる中で、社会保障を立て直すにはどうすればいいのか議論する。出演は経済同友会社会保障制度改革委員会委員長で日本総研理事長・門脇英晴、慶應義塾大学教授・金子勝社会保障国民会議座長で東京大学大学院教授・吉川洋の各氏。
(infoseekテレビ番組表 より引用)


セーフティーネット・クライシス 〜日本の社会保障が危ない〜(NHKオンライン
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080511.html


日曜夜、見てしまいました。NHKスペシャル。予想以上に打ちのめされた気分です。
さて、取り上げられたのは健康保険制度、介護保険制度、生活保護。そのいずれでもふとした加減で抜き差しならない状況に追い込まれる人々が登場します。働こうとしても働く場が無い。働けないから保険料も納められない。病状が悪化して手の施しようも無くなってから病院に担ぎ込まれた男性。彼は人員整理によって職を失い、国民健康保険料さえ払えなくなるのですが、それでも家族(娘)達に頼ろうとはしません。病院でも治療を拒み、抜け出そうとします。「他人に迷惑を掛けない」「自立しなければならない」というスタンスからは賞賛されるべきでしょう。でも、娘は父が家族に弱みを見せず頼ってくれなかった事に深い無力感を覚えるのです。
これは、介護保険でも生活保護でも同じです。全てのテーマに通底するのは「無力さ」。セーフティネットに頼らざるを得ない人々も、そのセーフティネットに関わる人々も、それが人々を救う「最後の命綱」になり得ない危機的状況に晒されている事に無力さを味わうのです。そこは、すでに「自助努力」や「前向き」といったポジティブ・シンキングではどうにもならない現実が目の前にあるからです。
それが、いかに圧倒的な現実だったか。コメンテーターは慶応大の金子勝教授、社会保障国民会議座長で東京大学大学院教授・吉川洋、財界を代表して経済同友会社会保障制度改革委員会委員長で日本総研理事長・門脇英晴氏。普段であれば、財界と“御用学者”による事態の正当化が図られる状況です。しかし、映像を見た後の二人は、金子の指摘、政府の社会保障費支出が圧倒的に少ない状況であること、そして、それが“小泉改革”の結果であることを率直に受け入れるのです。長期的ビジョンが必要であるのと共に、早急な対策が必要である事を。


他人事だと思いますか?でも、ほとんどの人が“網の目を抜け落ちる”手前でしか無いのですよ。正規職であろうと失業の怖れは常時あります。非正規労働者ならなおさらでしょう。貯蓄があればしばらくは凌げましょうが、一般に非正規職にそれほどの余裕はありません。その状況を支えるはずのセーフティネットが機能しないのです。それこそ病気にでも掛かったら…。


番組終盤、さらに気分の滅入る話になります。「貧困の連鎖、再生産」。貧困状態は次世代の、つまり子供達の教育にも影響を与えます。生活保護でやっとの片親家庭(多数は母子家庭)には子供の教育に多額を充てる事は出来ません。現在の教育では親の収入・資産状況と学歴に相関があることは常識となっています。裏返せば、貧困層は高等教育を受ける可能性が低くなるわけで、その事が就業の幅を狭める事は目に見えています。何よりも、当人達がそれを「しかたがない」、と受け入れるであろう事が悲しい。十代にして自分と関わりもないレベルで自分の将来が狭められている、となれば彼らの未来には“化石の荒野”が広がるばかりでしょう。

「ジュニア・ハイか」クリスは言った。「おまえ、知ってるか、ゴーディ?来年の六月までには、俺達全員、学校をやめちまうぜ」
「なに言ってるんだよ?なぜそんなことになるのさ?」
「グラマー・スクールみたいなわけにはいかないだろ。だからさ。お前はカレッジ・コース。おれとテディとバーン、おれたち三人は職業訓練コースで、他の低能たちといっしょに、玉突きをやったり、灰皿や鶏小屋を作ったりするのさ。バーンは補習コースに行かなきゃならないかもしれない。おまえは新しい仲間にたくさん出会えるよ。頭のいいやつらに。そんなふうになってんのさ、ゴーディ。そんな仕組みになってんのさ」

「(略)ハイスクールに行って、くそったれの職業訓練コースをとって、消しゴムを投げて、他の不満家たちと足並みを揃えるようになってしまう。居残り。停学。そしてしばらくすると、おまえの関心は車を手に入れて、ひどいブスを踊りにつれていくとか、トゥイン・ブリッジズ・タバーンにくりだすとか、そんなことだけになってしまう。そのあげく、女を妊娠させ、残りの生涯を工場ですごすか、オーバーンの靴屋ですごすか、ヒルクレストで鶏の羽をむしってすごすか、ってことになる。さっきのパイの話は、決して書かれなくなるだろう。なにひとつ、書かれなくなるだろう。なぜなら、おまえが頭の空っぽな、ただの皮肉屋になりさがっちまうからだ。」
(上下とも「スタンド・バイミー」 スティーブン・キング 新潮文庫 より引用)

言っておけば、スタンド・バイミーで描かれたのは、まだ多少ともましな時代のアメリカの状況です。レーガン時代を経て、アメリカの貧困層はより厳しい状況に置かれています。“くそったれの職業訓練コース”をとっても、“工場で生涯をすごす”事さえままならない現実に置かれているのです。


スタンド・バイミーでクリスがゴーディの助けを借りて“くそったれ”の状況から抜け出そうとするように、番組でも幼稚園教諭という夢を叶えるべく近隣の人々やNPOの手助けで高校へ進学する少女が登場します。しかし、それでも彼女は教育費の安い公立高校に合格することはできない*1。私立高校へ娘を進ませるために公的助成を求めようとする母親、しかし入学金の前納に目途が立たず泣き崩れます。結局、少女は高校に入学しますが、彼女の夢を叶えるにはまだまだ障害は数多い。
子供たちに彼らの望む教育環境を与えてあげる事が出来ないとするなら、それは彼らの未来を奪うことでもあります。


これはまさに、我々大人の責任です。我々は既に過ちを犯した。償えるとすれば、いかにセーフティネットを再構築するか、網の目からこぼれ落ちた人々を救うか、です。


貧困問題が取り沙汰されると必ず持ち上がるのが「消費税」の問題です。
社会保障を維持するなら消費税を上げるしか手段がない」
「税の直間比率を見直す必要がある」
しかし、このような言葉には問題があります。
まず、現在の貧困層、つまりセーフティネットが想定とする人々に対して、消費税増税はダメージにしかなりません。たとえば、税率を5%から10%に上げるとすれば、収入(年金、失業保険、生活保護を含む)が支出にほぼ等しい貧困層には、5%の物価上昇と同じ意味になります。現在の物価上昇がどう受け止められているか考えれば、簡単に踏み切れる話ではありません。生活必需品には免税措置、と云いますが、例えば乗用車は必需品でしょうか。地方では車通勤が当然視されているところも多いのです*2。家、はどうでしょう。適切な公営住宅が充実していない日本では、持ち家が推奨されてきました。むしろ、公営住宅を減らす状況にあります。家族の残した持ち家のリフォームに課税されたらどうでしょう。


そして、このような現実もあります。

日本は好況 米国は不況

【ロンドン16日時事】
十五日付の英誌エコノミスト最新号は、コラム「エコノミクス・フォーカス」欄で、ここ数年は日本がゼロ成長、米国は比較的高成長だったとのイメージが定着しているが、一人あたり実質GDP国内総生産)で見ると、日本が米国を上回り、先進七カ国中でも英国に次いで二位の伸び率だったと伝えた。
同誌によると、二〇〇七年までの過去五年間の年間平均実質GDP伸び率は、米国が2.9%、日本が2.1%で、米国が大きく上回っている。ところが、平均的な生活水準のおよその目安である一人当たりGDPで見ると、日本が2.1%、米国が1.9%と、伸び率が逆転する。これは、米国の人口がこの間、年1%ずつ増加したのに対し、日本では〇五年以来減少しているため。
同誌は「日本政府が一人当たり所得の伸びをもっと強調していれば、消費者も元気になり、支出を増やしていただろう」とした。
静岡新聞 2008,3/17 夕刊 より引用)


勤労層の3分の1が非正規労働者となり、生活ギリギリの貧困層が1000万人を超えた国の一面です。
さすが、エコノミストサッチャーの尻尾。所得分布も調べないで“平均”で“伸びています”とは、データ取り扱いの粗雑さに驚きます。逆に、一人当たりの成長が伸びている“はず”なのに、貧困層が増加している事自体が問題と捉えられないのはどうかと思います。それにしても、政府のプロパガンダがあろうと無かろうと貧困層にとって無い袖は振れません。
直間比率を見直し、消費税率を上げる、というのは、所得の“平均”を“伸ばした”一握りの層にとっては恩恵でしょう。しかし、貧困層にとっては救いにならないのです。


必要なことは税収を増やす事、ではありません。予算に占める社会保障費の比率を増やすことです。
なによりまず社会保障に充てるべき額を決め、それ以外を他の目的に充てる。予算の硬直化は望ましくありませんが、全体を一律削減、が現在の惨状を生んだ事を考えれば、支出の優先順位づけを行う事がなにより必要でしょう。
現実はまるで逆で、道路特定財源の扱いを見れば、実際に必要のない形で予算が硬直化している事が判ります。


ネオリベと思しき論客二人を叩きのめすほど、NHKスタッフの取材は奮っていました。
世耕がNHKに対してクレームを付けるのもある意味当然です。


・「NHKスペシャルは格差や貧困に偏りすぎ」=自民党・世耕議員の偏向質問=(評論家・森田敬一郎の発言)
http://morita-keiichiro.cocolog-nifty.com/hatsugen/2008/04/nhk_e35d.html


それほどの力が番組にはありました。それは画面を通じて漏れてくる現実のむごたらしさが産み出したものです。自分たちに何が出来るのか、是非みんなには考えて欲しいところです。

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

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反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

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現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

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ワーキングプアは自己責任か

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*1:首都圏近郊と異なり、地方では公立高校に優秀な生徒が進学する

*2:もちろん、その状況に改善の余地が無いとは言わない