シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

ロケットガールズ(朝比奈大龍勢 その2)

10/17のつづき


静清BPの賎機トンネルを抜け、左手に進むとそこが麻機遊水池。麻機は周囲に比べて低い土地で、水に浸かりやすく湿地帯だった。1974年の七夕豪雨で水害を起こし、大量の死者が出たために遊水池となった。


静岡市の中心からもさほど遠くない遊水池は良い憩いの場になっている。今の時期はセイタカアワダチソウの黄色い花が満開で、やや押され気味のススキや葦やチガヤも花を付けている。渡り鳥はまだ来ていないが、鴨たちがのんびりと水草を食べている姿を見ることが出来る。
残念なのが、ちょっと遊水池の内と外をハッキリ分けすぎてしまったこと。
もともと、こうした場所では、界面(水際)が重要な役目を果たす(パーマカルチャでは接縁効果という言葉がある)。水際が複雑に入り組み、その曖昧な領域が広く取られる事が生態系の多様性に繋がる。里山は平地と山の際だし、干潟は海と浜の際である。こうした界面が多く複雑なほど豊かな生態系と恵みを得る事が出来る。近自然学やパーマカルチャなどにおいては基本だ。
だが、現在の土木によるゾーニングは、界面の存在が考慮にない。水と陸をクッキリと隔ててお終いである。堤防や三面貼りなどはその最たるものだ。
計画を見る限り、遊水池着工にあたって自然を残そうとした人たちが奮闘した形跡は彼処に見られる。都市計画(静岡が都市か、と云う疑問は別として)において曖昧な領域が認められにくいのも理解できる。だが、いいかげん自然に学ぶ姿勢を身につける必要があるのではないだろうか。


などと真面目な事を考えながら遊水池を廻る。魚の姿も多く見かけたし、水鳥も数多くいたがカワセミは見かけなかった。時間が悪かったかもしれない。


この後、巴川沿いに下り、昼食を取るために途中から東へ進む。


その3へ続く


追記:写真は麻機遊水池の端の小川(巴川支流) 護岸が自然で美しい。