シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

宇宙に棲みたがる人々

米国:「恋敵」と思い込み誘拐未遂、女性宇宙飛行士逮捕
【ワシントン和田浩明】米航空宇宙局(NASA)の女性宇宙飛行士、リサ・ノワク容疑者(43)が5日、男性宇宙飛行士を巡って「恋敵」と思いこんだ女性空軍士官を襲撃しようとして誘拐未遂容疑などでフロリダ州で逮捕された。
(MSN毎日インタラクティブより引用)

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070207k0000m030107000c.html

(前略)人類にとって有人探査そのものは未来のために是非行うべき事業だ。(後略)
私の視点ウィークエンド スプートニク50年 無人探査で国際貢献の時 松浦晋也
朝日新聞 2007年 1/6)


以前、有人宇宙開発は「百害あって一利無し」と述べたのだが、日本ではなぜか有人宇宙開発に対する期待が高い。引用したのは、著名なルポライター松浦晋也氏のコラム。松浦氏はコラムの中で無人探査を優先させるべき、と述べているが、前提となるのが「有人探査の前に」である。松浦氏の中では有人宇宙開発は当然の事、と捉えられているようだ。
しかし、有人探査が未来のために必要、というのはどういった理由なのだろう。


有人宇宙開発、というか、人類の宇宙への移住*1を熱心に唱える人の意見は「人口増加による環境悪化を防ぐために、地球外へ移り住むべきだ」というのが主であるようだ。この意見は機動戦士ガンダムシリーズでは繰り返し出てくる話で、「人類が地球を汚してしまうから、人類は地球(環境)を守るために、宇宙へ移り住む、そして新たなる進化を遂げるのだ」というような事をジオン・ズム・ダイクンが提唱したという設定がある。この考えは、竹宮恵子の「地球(テラ)へ」でも登場する。


当時のSFではよくあるモチーフなのだが、「地球から人類は出ていく」、「人類は宇宙に進出すると進化する」というのは、カルト宗教から生じた考えなのだ。


冷戦期には核戦争を終末思想と結びつける事がよく行われた。ベストセラー「大予言」シリーズの著者、五島勉氏は、第三次世界大戦、西側陣営と東側陣営の戦争が核戦争に発展し、人類は滅亡する、というような考えをノストラダムスの予言と結びつけていた。第三次世界大戦をハルマゲドン*2と呼ぶのは日本のサブカルチャーでもお馴染みだろう。オウム真理教でも見掛けられたこうした考えは、アメリカではとりわけファンダメンタリスト(聖書原理主義)と呼ばれるカルト的なプロテスタント教徒に広まっている。というか、どうやら五島氏は、彼らの思想を利用したと考えられるのだ。


こうしたカルト信者の中でベストセラーになったのが、ハル・リンゼイの「今は亡き大いなる地球」(「今は亡き大いなる地球 核戦争を熱望する人々」で紹介されている)である。リンゼイは、「世界が無神論者(共産主義者)、異教徒、有色人種によって汚されてしまった。我ら正しきキリスト教徒(白人)は、終末戦争(第三次世界大戦の核戦争)の前に、宇宙へ逃れ住むのだ。」と説いた。リンゼイは、正しいキリスト教徒(自分たちの事だ)は神の手で天へ引き上げられる(=携挙という)という考えを推し進め、自力で宇宙に神の国を造るのだ、という、ある意味オリジナリティ溢れる考えを編み出した。彼は、宇宙へ移り住むだけではなく、神の国実現のために核戦争を積極的に引き起こす希望さえ隠そうとしない。宇宙へ移り住めば、神の国へ住む事になるのだから、新たなステージへ上がることになる。物理的だけでなく、心霊的にも”天に引き上げられる”、つまり進化するということである。宇宙に行くと進化する、という考えは、「アルタードステイツ」のモデルになったティモシー・リアリーが唱えたが、根底にはリンゼイの考えがあったかもしれない。ヒッピーの教祖とファンダメンタリストの教祖、接点は何もなさそうだが。リンゼイの考えはファンダメンタリスト以外は鼻白んでしまいそうな選民思想だが、宇宙へ移り住みたい、という考えは妥当性も何も関係の無い、レイシズムから生じたものである。


こうした考えはチラホラ散見される。奇書「家畜人ヤプー」(著:沼正三)も核戦争を逃れて宇宙へ進出した(白人種)が、生き残りのヤプー(日本人)を家畜化する、というもの。沼氏の正体は不明だが、彼はファンダメンタリストの終末思想を知っていたのだろう。「第3の選択」もイギリスのTV番組だったが、同様の思想に基づいている事を揶揄している。


スペースコロニー(宇宙植民地)を提唱したジェラルド・オニールも、もっともらしい装いはしているものの、リンゼイの考えが基になっているらしい。
では、根本はカルト宗教から来ているにしても、技術的には可能なのだろうか。


オニールのスペースコロニー、スペースアイランド(宇宙島)は径も長さも数キロに及ぶ円筒形状である。遠心力によって重力を生み出し、円筒内壁は6区画に仕切られ、隣接しない3つ区画が太陽光を取り込む窓、残りが居住区となる。窓にはミラーが設置されており、開閉角度によって昼夜を作り出す。円筒内部は大気が満たされ、町や森、湖などが設けられ、一島あたり数十万人が地球と同じ生活をおくる事が出来る、という壮大な計画だった。


この計画がずさんである事は誰にでもわかる。第一に、宇宙でこれほどの構造物を組み上げる事が出来るのか、資材は、例え可能だとしても、永続的に維持管理できるのか。構造だけではなく、宇宙島内部は人間が持続的に生きていくことが出来るのか。オニール達はその点を楽観視していた。


だが、現実は遙かに厳しいものだった。
かつて、宇宙にあるものは、地球上よりも長持ちすると考えられていた。宇宙は真空で酸化する大気も、腐食の基になる水も、汚す埃も無い。だから宇宙にある機材は半永久的に保つ、と考えられたのだ。しかし、現実は逆だった。宇宙空間では過酷なまでの紫外線や荷電粒子などの放射線、微細な宇宙塵に間断なく晒される。太陽光を浴びる側は100℃以上に上がり、陰では-100℃以下となる。どんな機材も地球よりも遙かに耐久性に劣る事がわかった。人工衛星などは寿命が来れば廃棄し、新たな衛星を打ち上げれば済む。しかし、人が住む宇宙島はそういうわけにはいかない。劣化が進めば維持管理も困難になる。しかも、少しでも故障すれば内部の生存に危機的な状況をもたらす。とてもではないが、建造も運用も不可能としか考えられない。


内部の生活圏は持続可能なのか、その点はさらに悲観的だ。
1991年、アメリカテキサスの石油大富豪エドワード・バスの発案になる壮大な実験バイオスフィアⅡが行われた。バイオスフィアⅡはいわば巨大な温室である。物質的には完全な閉鎖系となった生態空間で、入り込むのは太陽光のみ。数多くの動植物が持ち込まれ、海や森林など多様な生態系が設けられた。つまり、地球の生態系を模した設備であり、バイオスフィアとは生物圏(地球)を指し、「二番目」を指してバイオスフィアⅡと名付けられた。目的は、宇宙への人類進出のため、宇宙や他惑星上で持続的に生きていくことが出来るかを確かめる、というものだった。つまり、オニールのスペースアイランドを地球上に建設した、と考えればよい。


それ以前に、人類の宇宙進出に関して持続的な生活を営む手段は詳しく検討された事は無かった。アポロ計画時には1週間ほどの食料と水と酸素を持ち込めばよかったし、ソユーズやスカイラブも外部からの持ち込みと、廃棄物の持ち出しで済んだ。しかし、火星飛行やスペースコロニーともなれば何年も孤立した状況になる。食料も水も酸素も循環しなければならず、エネルギーも獲得する手法が必要である。おおざっぱに考えられていた計画では、クロレラ栽培などがあった。クロレラ水耕栽培することで酸素と食料を手に入れ、水を浄化する。廃棄物はクロレラの養分となり、閉鎖系で維持可能、というものだ。システムの維持管理が破綻無く行えるか、は別として*3クロレラだけでは火星への道中はともかく、植民地生活や移住には利用できない。


こうして、本格的な宇宙進出を考えた実験が行われた。バイオスフィアⅡのサイズは、火星旅行や火星移住で可能なサイズより遙かに大きく、種類も豊富な生態系であったにも関わらず、短期間で人間が生存不可能な状態へと崩壊した。大気の酸素濃度は下がり、二酸化炭素が増え、植物は枯れ、水は汚染が進んだ。大気と水の浄化を行い、食料を持ち込んでなお、内部で人が生存することは困難だった。バイオスフィアⅡのサイズでは、恒常性を保つ生態系となる大きさに足りなかったのだ。そして、これはオニールの宇宙島内部も同じ状況に陥る事をハッキリと示した。


我々が忘れがちなこと、それは、自分たちの手に入れるものも、捨てるものも、地球の生態系に依存しており、自分たちだけで循環維持など出来ない、という事である。人類が消費する酸素、排出する二酸化炭素の処理も植物に頼らなくてはならない。植物栽培に利用される肥料、例えば窒素肥料は窒素固定菌や大気中の放電(雷)が生み出す。植物や動物の遺骸は菌によって分解されて大気に戻る。生体を維持するさまざまな元素が循環をしているのだ。中でも壮大なのがリン循環である。リンは水に溶けやすく、陸上では生物が利用する量が限られている。例えばアラスカの森では、リンは遡上する鮭が運ぶ。遡上し、産卵後力尽きた鮭の遺骸がリン分として供給される。または、熊や鷹などの捕食者(人間も含む)が食べて排泄すると、それがリン分として森に供給される。他にも火山から供給される場合もある。海の生き物は湧昇流で供給されるリン分で増えたプランクトンを餌として繁殖する。それを捕食した海鳥が島に糞をし、それが長年に渡って積もった糞石、それがグアノ(リン鉱石)と呼ばれる。人類が農業や工業で利用するリン鉱石は、生態系で長年に渡って蓄積されてきたものだ。それをほんの200年程度で枯渇させようとしている。一旦、拡散したリンを集めて利用する手段は人類には無い。我々は自分たちの力だけで地球に君臨しているつもりになっているが、その力の源泉は生態系が長年に渡って蓄積してきたものだ。化石燃料にしろ、リンにしろ、鉄にしろ、木材資源にしろ、全てそうだ。ストックされた分が失われたら、我々には手の打ちようがない。


何もかもが「地球生態系頼み」の中で、その外で生きていく事など不可能なのだ。もし、我々が外で、宇宙で生きていくことが出来るとするならば、それは、自分たちだけで循環が可能な生活を営める時である。


地球は、物質的には閉鎖系である。従ってエントロピーの法則に従い、エントロピーは増大、つまり、壊れていく方向へ進んでいく。しかし、エネルギー的には太陽光を得て赤外線の形で放出する開放系である。物質の持つエントロピーは太陽光のエネルギーによって減らされ、循環していく。太陽光は地球のほぼ全ての命*4の源である。我々は、太陽光によって駆動され、絶え間なく循環する命の一局面に過ぎない。


1935年、シェーンハイマーは、ラジオアイソトープ(放射性同位元素)のトレーサーを使い、ネズミの代謝について研究を行った。トレーサー入りの食事や水を与えられたネズミは数時間のうちにそれらを排泄するはずだった。しかし、実際にはトレーサーはネズミの体の至る処に散らばっていた。摂取した食物は体内の成分と入れ替わっていた。数日の間にネズミの体は新しい材料と入れ替わってしまう。これは他の生物も同じだった。我々の体は時間差こそあれ、不変ではなく物質循環の流れの中にいるのだ。シェーンハイマーはこれを「動的平衡」と呼んだ。我々、地球に生きる生命はすべからく物質循環の流れに生じる「動的平衡」である。それは流れとして合わさったり離れたり、生まれたり消えたりといった揺らぎを絶えず繰り返す。生物も生態系も機械のような個別要素が組み上がった全体ではないのだ。


さながら渓谷の急流の水の盛り上がりに似たようなものだ。急流に生じる山はそこに水が積み重なっているわけではない。流れの相互作用によって、盛り上がっているように見える。その部分をほじくっても山は無くならないが、流れのちょっとした変化によって消えたり増えたりする。
プリゴジンの非定常平衡系によるパターン生成といえるかもしれない。


地球の、絶えず流れ続ける巨大な物質−エネルギー循環。その複雑に絡み合い、相互に強く関連した命の繋がり、その理解無しに我々人類が持続的に文明を持ったまま生き続ける事は不可能だ。我々が目指すべきなのは、その流れと関係を断ち切る事ではない。人類が巨大な流れの一部である以上、人類の生み出すもの、捨てるものもその流れの中に含まれるのだから。流れの中で手に入るものだけでやりくりを付け、流れの中で処理できるだけを捨てる、そうしたメソッドを身につける事だ。具体的に、エネルギーで云えば、地球に降り注ぐ太陽エネルギーで足りる分、そしてそれを得て生きる生物に影響が出ないレベルで。資材も同じ。廃棄するものは、生態系で分解され、蓄積されないもの、蓄積されない量。そうして生きなくてはならない。


自分が原子力や遺伝子組み換え(GM)に反対なのも、つまるところここにある。原子力は、巨大な流れの一部となる事は出来ないからだ。そして、原子力GMも流れにダメージを与える。


かつての科学者は、環境に対する理解を決定的に欠いていた。
理論物理学フリーマン・ダイソンは量子電磁気学の泰斗であり天才だ。だが、彼は当時の物理学者らしく、宇宙を調和ある機械要素の集まり、と見なした。地球の生態系にもその考えを持ち込んだ。彼らは「オリオン」という原子力駆動の宇宙船を考案した。NASAに採用される事は無かったのは幸いだった。なにしろ、機体後部に銅の反射板があり、その反射板上で核爆弾を爆発させ、反射圧で飛行する、という代物だったのだから。彼らは大気圏中数個の核爆弾で宇宙へ飛び出せると考えていた。大気圏中で数個?そう、これが考案された時には、アメリカは大気中核実験を頻繁に行っていた。ダイソンにとっては大したことがあるとは思えなかったのだろう。
そして、ダイソン・スフィアという概念に行き着く。高度に発達した(異星)文明は、生存空間を増やすために、惑星を分解して母恒星を覆うように改造してしまうだろう。そうすれば、生存空間も広がり、恒星のエネルギーも無駄なく利用できる。こうした惑星系は、可視光域では発見できず、赤外線を放射するので、赤外線放射する非可視の(巨大な)恒星には、異星文明があるかもしれない。と説いたのだ。この(異星)文明の惑星改造がダイソン・スフィアと呼ばれた。このアイディアはラリイ・ニーブンの「リングワールド」シリーズの元アイディアとなっているが、惑星を破壊して作り替えてしまおう、などという発想が出てくることにゾッとする。もし、異星文明が存在するにせよ、そのような考えを持った文明が存在するとは思えない。その母星の環境と折り合いを付ける生き方をしない限り、文明を維持できないだろう。


ダイソンと対称的な生き方と思考をするのが、フリーマンの息子であるジョージ・ダイソンである。彼はエコロジストやカヌイストの間では伝説的な人物だが、アリュートの伝統的カヤックを復活させて、アラスカ西部海岸地帯を旅するなどした。長らくツリーハウスに暮らすような「奇人」だったが、現在はカヌー工房を経営するなどして暮らしている。ジョージとフリーマンの対称的な生き方を並列して書き進めたのが「宇宙船とカヌー」(ちくま文庫)である。ジョージは、アルミ合金やFRPなど現代技術も利用しながら、アリュートカヤックを復元した。そして、それで海を旅する。父親は、息子の生き方を認めつつも、宇宙へと広がる夢想を止める事がない。


我々はこの親子の生き方いずれを選ぶべきだろうか。
・必要な技術を的確に利用して、環境に、地球に寄り添いながら生きるのか。
・テクノロジーの妥当性や足下に目もくれず、先へ先へと進むのか。


もちろん、自分の答えは決まっている。かつては、自分も月に降り立ち地球を月面の彼方に見たかったし、火星のマリネリス渓谷の端に立ち、荒涼たる地峡を見下ろしたかったり、木星の雲の上層部から下層を覗き込みたかったし、木星の衛星イオの火山を見て、エウロパの割れた氷の表面から暗い大洋に潜り、メタンの海のある土星の衛星タイタンの炭化水素化合物の泥を踏みしめたかった。
だが、自分の夢想と人類の成すべき事を混同するべきではない。


地球外の環境で、閉鎖した生態系を維持し続けるには、地球の生態系と折り合いを付け、それを良く理解実行するスキルが必要だ。それを模倣するために。しかし、そのスキルを手に入れたのなら、宇宙に新天地を求める必要性が無くなる。出ていく手段を手に入れた時、出ていく目的を失うのだ。その上で、なんのために宇宙に乗り出す必要がある?好奇心?だが、それならば無人探査でも充分では無いだろうか。有人宇宙飛行を行うための予算を無人探査計画に振り分ければ、現在のセンシング技術やシステム管理技術、材料工学は、今までの探査体とは比較にならないほどの情報を我々にもたらすだろう。有人飛行に拘れば、何度も上がったバンアレン帯までも届かない軌道をウロウロするばかりだ。そんなものが好奇心にふさわしいだろうか。


もう一度云う。我々は地球の悠久の流れの一局面に過ぎない。外へ出て生きていくことは出来ない。ここに生まれ、ここに死ぬのだ。有人宇宙開発は無駄である。

地球へ… 1 (Gファンタジーコミックススーパー)

地球へ… 1 (Gファンタジーコミックススーパー)

大気圏外進化論

大気圏外進化論

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

The High Frontier: Human Colonies in Space (Apogee Books Space Series)

The High Frontier: Human Colonies in Space (Apogee Books Space Series)

リングワールド (ハヤカワ文庫 SF (616))

リングワールド (ハヤカワ文庫 SF (616))

宇宙船とカヌー (ちくま文庫)

宇宙船とカヌー (ちくま文庫)

バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間 (ブルーバックス)

バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間 (ブルーバックス)


追記:写真はニラむネコ様

*1:この移住は宇宙植民地(スペースコロニー)を指すこともあれば、月への移住、火星の地球化と移住を指す両者がある

*2:新約聖書ヨハネの黙示録に登場する地名で、神と悪魔側の最後の戦いが行われる、とされている。転じて戦いそのものを指す。

*3:例えば、この手のシステムでは故障に関して「正のフィードバック」が働いてしまう。つまり、システムに支障が生じると、事態は悪化の一途を辿る。システム維持には「負のフィードバック」が働くシステムが必要

*4:熱水鉱床と呼ばれる深海や火山には硫化水素をエネルギー源とする生態系が存在する。彼らの命の源は地球の地熱である