経営がわかっている労働者と、わかってない労働者の格差が拡大していく理由 - 分裂勘違い君劇場
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1
えー、相変わらず本気ならイタいし、ネタなら長すぎる話。自分は“KY”なので、存分に突っ込むとする。
経営を理解してない労働者は、どんどん居場所がなくなり、年収も下がっていくと思います。
逆に、経営*1を理解している労働者は、ますます活躍の場が広がるし、たとえ運悪く挫折しても、何度でも復活するチャンスが得やすくなっていくと思います。
ま、心情告白はどうでもいいのだが、この言葉は無意味だろ。最後で述べる。
まず、
企業の目的は金儲けではありません。
あーぁ、そうですか。で、何が目的ですと?
自動車会社の目的は金儲けじゃない。顧客に自動車を提供すること。
だから、心情告白はどうでもいいって。じゃあ、なぜ企業は商品対価に利潤を上乗せするんだろうな。顧客に商品を提供する“目的”は何なんだ?それは、利潤を得るため、金儲けのためだろ?だとすれば、企業の目的は利潤を得ること、だろうに。
【迷信2】非営利組織に経営は必要ない(善意だけで運営できる!)
そんなこと、誰が言ってんでしょうね。自分もNPOに関わる事が多いが、大概、経営面のきつさはしょっぱなから問題になる。熱意や善意だけで何とかなる、なんて考えているヤツはいやしない。
ただ、NPOの場合には経営リスクと事業理念が対立する事があるのも確かだ。で、理念をねじ曲げてまで経営を優先するべきか、で揉めることも多々ある。まさに事業目的を巡っての揉め事だ。結果として経営リスクを冒しても理念を追求することだってままある。それは、選択に過ぎず、誤解しているわけではない。
【迷信3】経営スキルがなくても仕事には困らない(経営は経営者の考えることだろJK。。。)
(中略)
すなわち、経営スキルは、ほとんどの労働者に必要なスキルなのです。
問題は経営スキル、というヤツを持っていようといなかろうと生じる“圧倒的な立場の非対称性”だろ?雇用側には選択余地は多数あり、被雇用側に選択の余地は少ない。その点を無視しては通れないのだが。
それにしても、「経営スキル」とか「経営を理解する」とか安易に使われてるな、という感じ。
そもそも、ネオリベの人たちは何を主張しているのか?
まず、むちゃくちゃ単純化して言うと、
「自由市場 + 機会の平等 + セイフティーネット 」
というのがネオリベの人たちにとっての理想社会です。
いや、本当に単純ですな。“自由”も“平等”も“セイフティー”も同じだが、抽象的じゃ意味がない。ネオリベにとって大事なのは、この自由も平等も、セイフティーも、自分にとって有利な状況を生み出すためのものでしかない、って事だ。その点を説明していこう。
【迷信1】ネオリベの人は、規制はどんどん撤廃すべきだと主張している
(中略)
そういう、ウソとかズルとか卑怯とかがない「公正」な社会で、
みなが自由にwin-win取引し、みんなが豊かになるのが、ネオリベ的理想社会なわけです。
なるほど、見事な理想世界ですな。素晴らしい。
ウソとかズルとか卑怯とかがない「公正」な社会なら、社会主義でも共産主義でも国家社会主義でも絶対王政でも、みな豊かで幸せになるんじゃないですかね。問題はウソとかズルとか卑怯を取り除けず、「公正」な社会にはならない、点にあると思いますが。率直に言ってしまえば、ウソとかズルとか卑怯とかがあることを前提に「公正」な社会を設計出来るか、に問題はあるのだ。
それに、このウソとかズルとか卑怯とか、「公正」自体、ある一面からの定義に過ぎないのだが。
例えば、
窃盗、私有財産の侵害、独占、談合などがあると、
とあるが、ヨーロッパからのアメリカ植民者は、先住民(インディアン)が自分たちの持ち物を盗む、と云って憤慨、後の侵略の正当化の理由とされたことがある。先住民側の文化では互いの持ち物を自由に利用するのは当たり前の事だった。何が悪い?というわけだ。窃盗、が犯罪となるのは私有財産が不可侵、である世界においてのことだ。
ま、そこまで行かなくても、誰のモノでもなく誰のモノでもあった入会地は明治以降に明治政府の手によって没収され、特定の人物に下賜された。そのあとは、もちろん不可侵な私有財産となった。「公正」とは政治的な文脈でしか語りようが無い。
付け加えるならば、独占というのはどういう文脈でウソとかズルとか卑怯とか決めるんでしょう。「経営的スキルを争う自由な競争の結果としての独占」はどう扱う気でしょうか。
独占禁止法がアメリカで定められる時、古典的資本主義信奉者にどう捉えられていたか知らないわけじゃないでしょう*1?
そういう、ウソとかズルとか卑怯とかがない「公正」な社会で、みなが自由にwin-win取引し、みんなが豊かになるのが、ネオリベ的理想社会なわけです。
それにしても、何度読んでもスカスカな文だなぁ。
【迷信2】ネオリベの人は、競争に負けた弱者は自己責任なので路頭に迷っても仕方がないと主張している
(中略)
実際、dankogai氏はベーシックインカムを支持していますし、ネオリベ系の経済学者の多くが、ベーシックインカムとよく似た「負の所得税」に類するものを、おおむね支持しています。
なるほど、施しをくれてやろう、と云うわけですな。問題は
・ネオリベ世界でベーシックインカムの原資はどうするのか
・それは人間の尊厳を失わない程度の生活を営めるだけの額なのか
ということなわけで、その点がネオリベであろうとリベラルだろうと社会制度設計において問題になるんじゃないの?少なくともリベラルはその制度が実現しないことを申し訳なく思うだろうが、ネオリベは自己責任論によって責任回避を行うだろう。善意を疑うわけじゃないが、空約束になる事は怖れておりますよ。
【迷信3】ネオリベは、格差の固定化をもたらす
これもね。
【迷信4】経済効率ばかり追いかけるネオリベは地球環境を破壊する
自由市場における、自由な取引が公害を生み出す場合があります。経済学で言うところの、負の外部性の問題です。
この場合、自由経済体制自体が公害の原因であるように言われることがありますが、これは間違いです。
間違いもクソも、そんな短絡的な視点で捉えている訳じゃない。問題は負の外部性などというものは存在しないことを理解していない点にあるのだ。つまり、外部に負荷を放り出せば済む、と考えていたものが、地球環境という閉鎖系においては結局のところ内部問題でしかない、事を近視眼的な経営者は理解出来ない。それが顕在化するのは時間の問題でしかないのだが、その時間的猶予のスパン内でしか経済活動を考慮しなければ、その方が“合理的”な選択になる。だが、それは他人や後の世代に害を与え、結局自分たちに返ってくるということ。
これは、自由経済諸国(って何?)か社会主義国の差じゃないのだが。アメリカや日本などの自由主義陣営諸国において公害規制が布かれる際に、推進役になったのがリベラルであり、最も抵抗したのはネオリベの元祖たる経済界の重鎮達だった。現在でも、温暖化防止策に経済界は非積極的か否定的である事を無視するのもどうかと思う。
参考:「神話」か? 「真実」か?[前編] クラウス・チェコ大統領の叫び
http://premium.nikkeibp.co.jp/em/source/12/index.shtml
公害の問題はどちらかといえば、民主主義か全体主義かの違いだっただろう。社会主義陣営は自由主義陣営に対抗するために生産性向上を最優先させ、それに伴う公害などを無視したからだ。自由主義陣営においても開発独裁型国家では公害が頻発している。日本以上にネオリベ的な中国の環境破壊状況を知らないわけじゃないだろ?
ちなみに炭素税や排出権取引(これも問題の内部化手法の一つ)に最も反対しているのは、ネオリベ的発言の相次ぐ会長を擁する経団連なのだよ。
【迷信5】ネオリベの人は、格差の是正は一切すべきではないと主張している。
(中略)
ただ、これには副作用があって、高額所得者に重税をかけすぎると、経済効率が落ちて、社会全体が貧しくなります。つまり、結果の平等と経済効率はトレードオフなのです。
いや、それは冗談だろ。高額所得者にどれほど重税掛けても、連中は意欲を失ったりしないよ。そんな事で意欲を失うような連中なら最初から“生き馬の目を抜く”世界に飛び込んだりしない。累進課税ということは、税金をガッチョリ取られたとしても、残額は低所得者より多い事になる。大立者のメンタリティーとは“他人より上に立ちたい”だから、課税されたくらいで凹んだりはしない。いかに誤魔化すか、や、どうやったら減税させるか、は真剣に考えるだろうが。
税率を上げると意欲を失う、という言葉自体、減税させるための戦術なのだろう。
「そんなにたかるなら、ボク働くのやめちゃうよ!」
まともに取り合うだけアホである。
それ以上に、社会的な活動を通じて得た利益は、社会に還元し貢献する義務がある、という考えもある。税金をペナルティとして捉えるのではなく、社会へ対する恩返し、と考えても良いはずだ。
何事も自分だけの力で成し遂げられる、と考えるなら「オレの金はオレのモノ。オマエの金もオレのモノ。誰かのために出すなんて舌でもイヤだ」という幼稚な考えもあるだろうが、「自分の成功は自分が関わってきた人々のおかげでもある。その人達に還元しよう」と考えれば、税金を取られるから、と云って意欲を失うとは云えないだろう。
実際、ビルゲイツやバフェットなどは「累進度を上げろ(つまり、自分たちから税金を取れ)」と主張しているわけだ。
さて、まだまだ続くよ、分裂節。
そして、それらの改革は、やがて経済を立て直し、成長軌道に乗せ、社会全体の豊かさを膨らませ、ましたが、一方で、格差を拡大し、相対的貧困を拡大させました。
ただし、イギリスなどの例を見ると、絶対的貧困は削減されたようです。
すなわち、貧困層の実質賃金はおおむね上昇しました。
相対的貧困とか、絶対的貧困、って何を基準に言ってるのやら。通貨なんてものは相対的価値しか持ち得ないから、格差が拡大したら問題は相対的に決まってるだろ。社会における購買力こそが問題なわけで、イギリスの改革とやらはその点ではまったく貧困を削減しなかった。
トインビーの「ハードワーク」を見れば法定賃金で生活することが出来ない現実が描かれている。
イギリスの映画をどの程度見ているか判らないが、日本でもヒットした「トレインスポッティング」、「ブラス!」「フルモンティ」などは、サッチャリズムに対しての痛烈な皮肉に満ちている。
その皮肉が生み出され、受け入れられる素地は何故に生じたと思う?
実際、例として登場する先進国の問題は現在の日本が抱える問題と根は同じだ。自由貿易下で通貨価値の低い国が生産国として伸長すれば、レートの高い国の生産業は太刀打ち行かなくなる。これはまさに物理のポテンシャル問題。水は低きに流れる。日本もアメリカを相手にこの構図で経済成長を遂げたわけで、アメリカはドルを下げざるを得なくなった。この現象はポテンシャルが等位になるまで起こる。つまり両国の通貨価値が等価になるまで。だが、結果として生じる輸出力の低下(これは輸入の増加と対を成す)を、日本の産業界は無理矢理維持しようとした。外貨(ドル)を貯め続ければ円の価値は上昇し続けるから、(輸入を増加すれば通貨価値を押し下げる働きが生じるが)どうやったって輸出競争力は下がるのは自然現象ともいえる話だ。
先進国全体でこの現象が起きたわけで、その状態でサッチャーが取った政策は大雑把に言ってしまえば、「イギリスをヨーロッパの途上国にする」事だった。つまり、人為的に低ポテンシャル(労働賃金、労働権利の切り下げ)を実現したのだ。経済原理に基づいて、より低賃金で悪条件で働かす事が可能なところに投資は行われる。世界中が右に倣い順繰りに労働条件を下げている状況が続いているわけだ。十数年前から、“本命”中国とインドがチキンレースに参戦した。一般の人々の労働権利も賃金も信じられないほどに低く無視される両国において、もはや先進国はまっとうな競争では立ち行かない。利益を上げられるのは、かつてサッチャリズムが吹き荒れたイギリスでそうであったように、両国産業に投資出来るものだけで*2、先進国の一般人は滴り落ちる僅かなおこぼれ(トリクルダウン)を期待するほか無くなる。それさえも、サブプライムローン騒ぎで示されたようにまやかしに過ぎなかったわけだが。
余談だが、ネオリベは日本におけるバブル後の債権処理やサブプライム危機における資金投入をどう捉えているのだろうか?。
世界の工場として他国の産業の脅威となっている中国やインドにしても、労働者が賃金や労働条件を上げようとする事は容易でないことは以前説明した。
ワーキング・プアは日本だけじゃない
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071221/1198225874
中国やインドの労働条件を上げることは両国労働者にとっての恩恵であって、先進国の産業に関わる者にとっても助けとなる。だが、ネオリベ的発想に立てば、両国労働者の願いが達成されることは経済効率を落とすことになるのだろう。ま、中国やインドでは労働者が労働権利を訴えれば、文句を言わずに働かせる事が可能な者にすげ替えるのは難しい事じゃない。先進国ではこうした状況を防ぐために、一応は労働組合があるわけだが。
長々と説明してしまったが、先進国が続々とネオリベ路線に舵を切ったのは“自然現象”などじゃない。互いに投資を呼びこむために財政支出、福祉水準や労働条件を低下させるためだ。これは、福祉切り下げのチキンレース、まさにナッシュ均衡。行き着く所は全世界的に焼き畑が広がる状況だろう。
むしろパレート最適を得るために、世界各国が所得税・法人税、労働条件の下限水準を決める方が効果的では無いかな?課税回避(タックスヘイブン)を行うような国には通商停止・経済制裁を行う、ようにね。その上で、つまり全世界的に“公平”な条件で存分に経済競争でも何でもやって貰おうじゃないの。
さて、冒頭の話、
経営を理解してない労働者は、どんどん居場所がなくなり、年収も下がっていくと思います。
逆に、経営*1を理解している労働者は、ますます活躍の場が広がるし、たとえ運悪く挫折しても、何度でも復活するチャンスが得やすくなっていくと思います。
これはみんなの大嫌いな“努力すれば必ず夢は叶う”と同じ事だ。結果からプロセスを定めるのだから。
どんどん居場所が無くなり、年収も下がっていく労働者は、経営を理解していない。
活躍の場を広げられず、挫折して復活出来ないのは、経営を理解していないからだ。
(なぜなら、経営を理解していれば、活躍の場が広がるし、挫折しても復活出来るからだ。)
つまり、これはトートロジーに過ぎないのだ。つまり、まったくの無意味な話である。
最後に。
労働は自由にする、とは、アウシュビッツ強制収容所の門に掲げられていた言葉。
また来週、再見。
- 作者: ポリー・トインビー,椋田直子
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2005/07/14
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 157回
- この商品を含むブログ (49件) を見る
- 出版社/メーカー: アスミック・エース
- 発売日: 2007/03/02
- メディア: DVD
- クリック: 9回
- この商品を含むブログ (26件) を見る
- 出版社/メーカー: アミューズ・ビデオ
- 発売日: 2007/05/25
- メディア: DVD
- 購入: 1人 クリック: 42回
- この商品を含むブログ (84件) を見る
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2007/11/21
- メディア: DVD
- 購入: 1人 クリック: 10回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2008/01/23
- メディア: DVD
- クリック: 16回
- この商品を含むブログ (21件) を見る