シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

捕鯨論考

以前、捕鯨についてちょいと述べた。その後まとめてもう少し詳しい論考を書こうと思っていたのだが、丁度良い具合のニュースが最近出ていたのでエントリーする。
 
鯨肉販売の新会社設立
http://www.asahi.com/business/update/0510/165.html
朝日の記事は良く消えるので、全文引用しておく。

調査捕鯨の頭数拡大で在庫が積み上がった鯨肉の販売を促すための新会社「鯨食ラボ」が今月、水産庁の後押しを受けて設立された。低カロリー、低脂肪など鯨肉の長所を強調し、病院食や在宅の患者食用に売り込みを図る。

 調査捕鯨は、水産庁から委託を受けた日本鯨類研究所が87年に開始。捕獲した鯨肉は、「共同船舶」を通じて全量が販売され、その収益で年間約60億円かかる捕鯨費用の大部分を賄っている。

 鯨肉販売を1社だけが扱い、流通経路が限定されているうえに、赤肉でキロ約2千円(平均卸売価格)という高価格で販売は低迷している。

 一方、00年以降、調査捕鯨が拡大して供給量は年々増加。水産庁によると、05年末の鯨肉の在庫量は、業者が抱える分も含めて約3900トンと、年間供給量に匹敵する水準まで積み上がった。南極海での調査捕鯨を拡大した今年の供給量は前年よりさらに約1500トン多い5500トンに増える見通しだ。

 東京・六本木に設立された鯨食ラボは、缶詰用や飲食店向けが中心だったこれまでの販路とは重ならないように、健康食としての需要を開拓する。「機会があれば、鯨肉を食べたいと考えている消費者は多い」とみており、初年度で1千トンを販売する計画だ。

この記事に関しては、あとの方でつっこみを入れる。
さて、捕鯨について考えてみる。
大方の(日本における)捕鯨に関する意見というのは
 
・クジラは増えているのだから、捕っても良いではないか。
・それをイケないという諸外国の意見は非科学的で感情論に基づくものだ。
・とりわけ一部の過激な環境団体は×××だ。
・クジラ食は日本の伝統食文化だ。外国にとやかく言われたくない。
・クジラがダメだというなら、自分たちはどうなんだ。牛やブタを食べてるじゃないか。
・もっと生息数の少ないクジラを先住民には捕らせているじゃないか。
 
だいぶ端折ったが、代表的な意見はこんなところじゃないだろうか。
これらの意見は果たして正しいのだろうか?


1.クジラは増えているか?
ここで言われるクジラとは主として南氷洋のミンククジラを指しているようだ。日本捕鯨協会の資料を見ると、クジラの頭数は増えていて、毎年2000頭捕っても問題が無いとの主張である。
だが、幾つかの疑問点が残る。そもそも、クジラの頭数はどうやって勘定しているのだろうか。基本的には、ある一定領域の頭数を勘定し、生息域全域の面積分を求めるという手法だろう。この場合、捕捉したクジラの頭数と面積比、いずれも大きな幅が出来てしまう。捕鯨を止めているのだから増加傾向にある事は確かとしても、その増加率は大きめに見積もる事も可能だ。
しかし、クジラは本当に増えているのだろうか。もともと野生動物は乱獲するとそう簡単には増えない。北アメリカ大陸のバイソンやオオカミは乱獲され、絶滅が危惧され保護されたが、手厚い保護と繁殖管理の下でも頭数はなかなか回復していない。クジラは外的障害からの保護も繁殖管理も行われていないのに、そう簡単に増加するのだろうか。
付け加えるなら水棲哺乳類は減少しやすい。ステラー海牛は18世紀に発見され、100年もしないうちに絶滅に追い込まれた。ラッコ、マナティジュゴン等も捕獲によって数を大きく減らし、絶滅寸前に追い込まれ現在でも回復には至っていない。
野生動物は繁殖力と餌、外敵、事故等の減少要因との釣り合いによって多少変動しつつも生息数が均衡状態にある。減少要因が変化したわけでも無いのに急激な増加が起こりうるだろうか疑問だ。
 
上記は自分の疑問だが、実際増加しているという報告にはIWC内から異論も出ている。どちらが科学的、という二項対立の問題ではなく、どちらも科学的立場に立って議論しているのだ。
 
2.環境団体は過激で危険で非合理的か?
捕鯨に関する論議で多いのが、環境団体を目の敵にする意見だ。彼らのやり方を批判するのは良いが、どうみてもおかしいだろう、という意見も多い。
 
こちらが、そんな意見の一つ。
 
「鯨が増え過ぎて生態系を破壊する「反捕鯨」の大嘘」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/kujira.html
 
南氷洋のクジラを捕獲しないことが漁業資源減少を招く、との意見だ。南氷洋での本格的捕鯨は20世紀に入ってからの事である。それまで南氷洋のサカナとクジラの関係はどうなっていたのだろうか。
調べる限りどこにも妥当性が無い。こういった例は論外としても、誤解か偏見か定かでは無いが、大ベストセラー作家にも見受けられる。
 
養老孟司氏への質問」
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/lettergpj_html
 
上記は、養老孟司の本の一文に関する問題。グリーンピースジャパンが抗議を行った結果、その間違いを認め現在は訂正されている。
 
続いては、自分も尊敬している「グレートジャーニー」の関野吉晴の「グレートジャーニー「先住民」の知恵」の一文。

先住民(チュコト族=シベリア東部チュコト半島一帯の部族のこと:Dr-Seton注)の捕鯨を攻撃する過激な自然保護団体が、大資本を後ろ盾に森林の牧場化を進める勢力と孤立無援の戦いをしている貧しい農民に援助の手を差し伸べている、という話は聞いたことがない。 (80Pより)


この過激な自然保護団体が何を指すかは書かれていない。だが、前からの記述からみてグリーンピースを指すように思える。グリーンピースはアマゾンにおける森林開発に反対し活動も行っている。グリーンピースのサイトを少し調べれば判ることだ。グリーンピースの活動手法に批判があってもいい。理念に疑問を持つのも構わないだろう。だが、それが誤解や偏見に基づくなら問題だ。
 
3.クジラ食は日本の伝統的食文化か?
1と共に多いのがこれ。とりわけこの意見に立つ人々には文化人と呼ばれる人々が多い。
これは半分は正しく、半分は間違っている。
「クジラ食は日本の伝統的食文化ではない。だが、日本の地域伝統食文化である。」
この地域とは太地(和歌山)・和田浦(千葉)・鮎川(宮城)のような伝統的な捕鯨文化を持つ所である。
もともと、日本の大多数の人々にとってはクジラは一般的な食物ではない。クジラの捕獲頭数は少なかったし、クジラ肉の輸送手段も保存手段も存在しなかった。宮廷に納める食材にもクジラは含まれていない。江戸時代になると多少都市部に出回るようになるが、欠かせない食材という訳ではなかった。
クジラが一般の人々に親しまれるようになったのは、実は戦後の事である。戦後の食糧難の時代、畜産業も壊滅的打撃を受けて回復に時間を要した期間だったが、この頃捕鯨船団による大量の捕獲により安価なクジラ肉が出回った。捕鯨のモラトリアム提唱が1973年(実施は88年)だから、食文化として定着するにはほど遠かったのが実情なのだ。
短い期間でも食文化を担ったのは確かだから認めるべき、という意見はどうだろう。
手元にある本でクジラに対する日本人の考えが窺える。

それはサラリーマンになってからも同じようなもので、おれは二十代から三十代の前半にかけて銀座八丁目にあるチビ会社に十二年間通っていたのだけれど、酒を飲む町、というランクでは渋谷は「くじらと焼酎」というのが一番似合うドB級飲食街であった。
  渋谷スペイン通りはハズカシ通り 日本細末端真実紀行 椎名誠 角川文庫 146P 

クジラの肉はかたい。上等の牛肉が給食に出れば、ユミコさんはインチキなどしないとおもいます。
  きみはダックス先生がきらいか 海になみだはいらない 灰谷健次郎 新潮文庫 113P

海になみだはいらない (角川文庫)

海になみだはいらない (角川文庫)

 
クジラとはいかなる食材だったのか。その答えが上記である。クジラは”ドB級”で、”かたい”肉、もともと代用肉としての位置づけだった。固く、ドB級だが、安い。牛、豚、鶏いずれも出回る量が少なかった時代に、それらより劣るが手に入りやすい事がクジラのメリットだったのだ。
これでは伝統的食材で日本人が食することを望んでいる、とは到底言い難い。
また、再び(捕獲数枠を決めて)捕鯨を行っても、高価なクジラなどに舌の肥えた現代日本人が食指を伸ばすだろうか。価格を下げようとすれば捕獲数を増やす他無い。かつて、クジラが安価だったのは捕り放題だったからだ。だがそれは、適切な捕鯨を行えば良い、という意見に反する。
クジラ食が日本の食文化と主張することは無理があるのだ。
 
もちろん、伝統捕鯨を行ってきた地域は配慮すべきだろう。だが、それは南氷洋における船団捕鯨の容認とは繋がらない。
 
4.食用家畜との関係
牛や豚、鶏などの家畜は食べてよくて、クジラがダメというのは偏見ではないか。
これもよく見掛ける意見である。確か美味しんぼにもこんな意見が載っていた。
だが、これも間違いである。
知能うんぬんで線引きしたり、偏見に基づく意見も無いとは云えない。しかし、本当の問題点は「家畜」か「野生動物」かにある。完全に繁殖管理され絶滅の怖れが無い「家畜」と「野生動物」では条件がまったく異なる。食肉のコストで考えてみよう。牛でも豚でも鶏でもコストを下げるために飼育、給餌、繁殖、屠畜、解体、輸送で効率化を図っている。もちろん、それが良いか否かには問題がある。

ファストフードが世界を食いつくす

ファストフードが世界を食いつくす

 
だが、それを抜きにしても低価格化を図る事で絶滅する怖れは無い。
捕鯨の場合、その工程のほとんどが効率化を図る事が出来ず、コスト低下には捕獲頭数を増やす他はない。他の畜肉との競争に晒されるとすれば、乱獲を招く可能性は充分にある。この点が問題にされているのだ。


冒頭の記事は、捕獲頭数制限を行った場合、価格が需要を満たす程に下がらない現実を示している。無理矢理に需要を喚起するなど本末転倒である。

では、クジラを家畜化したらどうだろうか。そのアイディアが小説化されている。

海底牧場 (ハヤカワ文庫 SF 225)

海底牧場 (ハヤカワ文庫 SF 225)

 
ここではクジラを食べる未来が描かれている。捕鯨問題が起こる前の執筆だが、欧米の家畜観が現れている。
 
もう一つの間違い。それは大方の環境保護団体は大規模な畜産業、特に大企業による寡占化とそれに伴う問題に批判的である。ファーストフード等に対しても敵対的だ。”自分たちだって食べてるじゃないか”という意見は当たっていない。
 

5.まとめと提言
捕鯨の問題について調べると、不思議なことに気づく。本当に捕鯨に関心があるのか、疑問を感じる事がマレではないのだ。
「日本捕鯨協会」らが捕鯨にこだわり続けているのは、日本の食文化とも捕鯨地域とも関係が無い。彼らの(あまり好きな言葉ではないが)権益だからである。
少なくともIWCで諸外国と対立を続ける限り、水産庁には予算、財団法人である「日本捕鯨協会」には補助金や委託金が出る。官公庁癒着問題の一バリエーションに過ぎない。不毛な対立を続ける事が彼らには望ましいことなのだ。
利権と関係なく、捕鯨支持というより反・反捕鯨を唱える人々はこうした利権問題には興味を持つ様子は無い。彼らが問題視するのは、過激な団体であり、クレームをつける諸国家である。問題の焦点は、捕鯨よりも、敵に迫害される我々、であるようだ。
これは、靖国問題や戦争責任問題、などと相似な印象を受ける。
 
上述の木村愛二氏が典型的だろう。
 
こういう事もある。対外的にはクジラをハンバーガーやフライドポテト(fish and chips)のような食材と宣伝する。
 
Japan Whaling Assoc. -Q&A- Q3
http://www.whaling.jp/english/qa.html
 
だが、国内向け宣伝からは除いている。
 
日本捕鯨協会 -捕鯨問題Q&A-
http://www.whaling.jp/qa.html
 
当たり前だ。誰もそうは考えないだろうから。外向けと内向けで異なるのは、靖国問題や戦争責任問題でも同じ。他者の理解を望んでいない訳だ。
 
だから、改めて聞いてみたいのだ。


     本当にクジラが食べたいのか?
 
クジラは日本の伝統食材でも文化でもなく、捕獲すれば減る可能性があり、他の食材と比べても安くは無い。そうだとしても食べたいだろうか。自分たちを無理に正当化せず、幾ばくかの後ろめたさと財布の残額を気にしつつ、それでも食べたいのなら、真剣に解決策を考えるべきなのだ。