シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

アトミック・ランド −東京に原発を−

今までも原子力について反対だ、と述べてきた。そう考えている理由としては、
・「本質的に」事故時のダメージがデカイ
・事故時以外にも多大な問題、とりわけ社会構造に密接に関連する問題を生じる


そして、
・すでに古臭い


というのがある。


まず、本質的に事故時のダメージがデカイ、について。よく原発推進派と原発反対派での討論を見ると、「原発は危険だ」「いや、安全だ」の水掛け論に終始することになる。いや、実際、「水掛け論に終始」するなら本当は問題は少ないのだが、討論が水掛け論にも関わらず原発の建設はバンバン進んでいってしまう状態である。まあ、それはおいとくとして、自分の認識はこうだ。


「可能性のあることは、必ず起こる」


これはあらかじめ述べておくと、自分の認識に過ぎない。だが、結構当たっていると考えている。


もともと、自分は物理学を目指した事もあって原子力については賛成の立場だった*1原子力は未来のエネルギーで、ほんの少量で多大なエネルギーを生み出す、原子力には放射能がつきものだが安全に安全を重ねて運転されている、etc。こんな言葉が子供時代の科学啓発本?には並んでいた。自分はそれを真に受けていて、お気に入りの場所は浜岡原子力発電所原子力館だった。そこには原子力の造り上げる燦然と輝く未来があった。


認識が一変したのは、スリーマイル島(TMI)原子力発電所事故だった。あの事件の時、起きないといわれた炉心熔融*2の一歩手前まで達していた。しかも、その事実はだいぶ後になって公表されたもので、事故当時、リアルタイムでは状況はほとんど判っていなかったし、手の打ちようもなかったのだ。原子力に対する「安全措置」というものが、実はまったく実態のないものである、と知ったのはその時だった。アメリカの原子力政策はそれ以来下火になったが、日本では政策に反映されることはなかった。日本では相変わらずの「安全神話」が振りまかれていたのだ。


そして、大学時代、チェルノブイリ原子力発電所事故(通称:チェルノブイリ)、が発生した。現在、チェルノブイリについては、原子炉自体に問題があった、とか、作業員の運転ミス、などのヒューマンエラー、などを挙げて、チェルノブイリ特有の事故、であるかのように宣伝されている。
だが、その見解には問題がある。


NHKがかつて放映した「原子力:秘められた巨大技術」という番組には、実はチェルノブイリを含む旧ソ連原子力発電所が登場する。そして、それはアメリカの原子炉に比べ、安全性が高く、優れた施設として取り上げられているのだ。もちろん、その見解はソ連の技術者やソ連政府の広報担当者の言葉に過ぎない。今見れば滑稽ですらある。しかし、それを今、我々が笑うことは出来るだろうか。


・TMI以前、アメリカの技術者や科学者は、アメリカの原子炉の安全性を力説していた
チェルノブイリ以前、旧ソ連の技術者や科学者*3は、旧ソ連の原子炉の安全性を力説していた


原子力は巨大技術で軍事機密にも関わるために、多岐にわたる情報が伝わりにくい。事故が起きるまで「安全だ」と強弁されるのがオチである。
裏返していってしまえば、原子力に関しては「安全だ」の言葉も、各種数字も信用することはできない、といえるのだ。それは、「もんじゅ」でも「柏崎」でも示された事でもある。今後、どんなに言葉を費やそうとも信じることはできない。「想定外」という言葉が軽々しく使われる裏には、指摘される問題点を黙殺し、「誤解」と強弁する姿勢が根底にある。


だが、原子力推進側は本質的な問いに答えることができない。


「なぜ、電力大需要地近郊に原発をつくらないのか?」


以前、浜岡原発はもともと三重県芦浜に建設が計画されたものが、地元の反対によって頓挫し、浜岡に移ったことを指摘した。


プルサーマル問題
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20060303/1141375548


大電力需要地、名古屋をわざわざ跨いで“僻地”である浜岡に持ってきたのである。なぜ、名古屋に造らないのだろうか。浜岡からは基幹送電線が名古屋まで延々と続いている。その間の送電ロス*4や、設備投資、維持管理費を考えれば、中京圏の地価などはまったく問題にならない。だいたい火力発電所は名古屋近郊に存在するのだ。


同じ事は日本中の原子力関連施設全てに共通する。新潟柏崎刈羽原発は世界最大級の原子力施設であり、その発電電力は首都圏に向けられたものだ。福島も同じである。関西圏なら福井県に集中している。


実は、TMIでもチェルノブイリでも都市近郊に造られている。彼らは、特に旧ソ連原子力プラントを都市における総合エネルギー供給施設として考えていたようだ。都市近郊にあれば、電力供給だけでなく、温排水は冷暖房源として利用することが可能となる。旧ソ連の技術者やテクノクラート原子力を甘く見ていたことは確かだろう。しかし、彼らは原子力に関してダブルスタンダードをとることだけはなかった。都市=エネルギー需要地近郊に原発を設けていた事は、彼ら自身も原子力の安全性を信じていたのだ。それが過信であったとしても。


対して日本ではどうだろう。どれだけ言い訳しても、電力需要地近郊に原発を造らない理由は見えてこない。活断層が指摘されようとも、地震の巣につくろうとも、原発の安全性を力説するにも関わらず、それほど安全なものをなぜ東京に造らないのか。


少し原発のある東京の姿を考えてみよう。どこに造るのが適当だろうか。埋め立て地、お台場などどうだろう。地盤が緩い?いやいや、問題ない。近くにはレインボーブリッジがある。地震で破壊されるのであれば、こんな所に橋など設ける事は出来ないはずだ。レインボーブリッジと同様の耐震性を持たせれば充分である。大電力消費地にほど近いのだから効率も高い。そのぶん、電力料金も下げる事が出来る。温排水もただ捨てるんじゃもったいない。大江戸温泉物語に利用しよう。微量の放射能が混じるけど、気にすることはない。少々の放射線が体に良いのは電力中央研究所のお墨付きだ*5。まだまだ大量に温排水は余るが*6、お台場の海岸を暖めるのに利用できる。冬でも楽しめる常夏の人工海浜公園だ。
いやいや、発電効率を若干落として温排水の温度を上げれば冷房にさえ利用できる。お台場周辺の冷暖房に利用すれば、総合効率は7割を超えるだろう。


原子炉本体もお台場の名物にしよう。圧力容器も格納容器も高強度ホウ酸ガラス製にする。致死性の高い高速中性子は軽水で減速、ガラスのホウ素で吸収してしまえば放射線を心配する必要もない。夜になればチェレンコフ光で青く輝く巨大なガラスの原子炉。燃料集合体から沸き上がる泡が青白くたゆたう姿はお台場の新しい名所になること間違い無しだ。原子力が作り出す新しい街、アトミックランド。


しかし、そんな未来は絶対に来ないだろう。


日本において、原発が都会に造られることはない。それが、原子力の安全性に対する疑念の証明である。
では、都会のツケ、ダブルスタンダードのゆがみを押しつけられる形になる原発建設地では何が起こるのか?それを次回説明していこう。


追記:写真は磐田市地震予知研究所?


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チェルノブイリの真実

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原子力―秘められた巨大技術

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ウラルの核惨事

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東京に原発を! (集英社文庫)

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*1:とはいっても、小学生までのことだが

*2:最近使われないが、熔融した核燃料体が地殻を融かし、地球の反対側=中国まで到達する、との意味を込めて、チャイナ・シンドロームと呼ばれた

*3:「ウラルの核惨事」を書いた、メドヴェージェフは旧ソ連原子力政策の危うさを訴えたが、世界各国、IAEAを含めて、の当局者は黙殺した

*4:送電ロスは10%近いと云われる

*5:ホルミシス効果というが、電中研以外で実証した所は無い

*6:放流される温排水は、周囲の海洋環境を変えるレベルに達する