シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

花岡信昭に宣戦布告

週末ノンビリしている間に色々あったようで。


・沖縄の暴行事件、米兵を釈放 少女側が告訴取り下げ

那覇地検は29日、女子中学生に乱暴したとして逮捕された在沖縄米海兵隊員のタイロン・ルーサー・ハドナット2等軍曹(38)について、生徒が同日付で告訴を取り下げたとして不起訴処分とし、釈放した。生徒は29日、事情を聴いていた検事に対し「(事件に)これ以上かかわりたくない。そっとしておいて欲しい」と述べ、告訴を取り下げたという。これにより、海兵隊員は同日午後8時40分ごろ釈放され、米軍に身柄を引き渡された。

http://www.asahi.com/national/update/0229/SEB200802290011.html


事態の成り行き自体は珍しい話でもない。親告罪である強姦に関しては被害者が泣き寝入りする事は頻繁に起こる。むしろ、その方が多いくらいだろう。そのような泣き寝入りの原因となるのが
「〜ゆえに、レイプされたのは当然だ。レイプされた方が悪い。」
というような無神経で忠告を装ったような中傷だ。
外野が、もちろんここには自分も含まれる、騒ぎすぎたせい、というのは確かにあるだろう。
セカンドレイプについて一般に認識を広めた落合恵子の「ザ・レイプ」「セカンドレイプ」でも、その部分が活写されている。

ザ・レイプ (講談社文庫)

ザ・レイプ (講談社文庫)

セカンド・レイプ (講談社文庫)

セカンド・レイプ (講談社文庫)


だが、同じような被害者が出さないために勇気を出して訴えて欲しい、被害を生み出す状況を改善して欲しい、という意見と、オマエに隙があった、だからオマエ“も”悪い。というような言葉はどちらも被害者を追いつめるが、同じレベルで評価する事は出来ない。
なぜなら、訴えて欲しい、改善して欲しい、という言葉は、被害者に寄り添い力を与える事も可能だが、被害者の非を責める声は、徹頭徹尾被害者を突き放す言葉にしかならないからだ。
この点、「どっちもどっち」というような意見は間違っている。


そうした点を踏まえると、相変わらずコイツは最悪だ。

・14歳少女に振り回された?(はなさんのポリログ)

この記事から読み取れるのは、

 ・強姦の事実はなかった

 ・だから地検は強姦未遂罪の適用を検討した

 ・それでも起訴は難しいとして、少女に告訴取り下げを求めた

 ・・・ということではないのか。

http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/498132/


ゲスの勘ぐりもいいとこ。しかも、なんだこりゃ。

こちらは「大人の社会の常識」を述べたに過ぎない。そこが理解できないようなら、もっと人間や社会の勉強を積んでから、ネットの世界に入ってきてほしいものだ。

アホか。「大人の社会の常識」とは、犯罪被害者に説教を装った中傷をしないことだろうよ。文中に載せながら「セカンドレイプ」さえ知らなかったんだな。不勉強なヤツ。

日本ジャーナリスト会議という左翼運動団体がある。特定の政治運動をやっている団体にジャーナリストと名乗ってはほしくないが、そこの機関紙「ジャーナリスト」のコラムでは、当方を呼び捨てにして<産経新聞は・・・被害少女の「無防備さ」と親の「しつけ」の不徹底を責める文を掲載した>ときた。

誰それを“特定の政治運動”をやっている、と述べるなら、それ自体、“特定の政治運動”でしかないから。「自分は偏っていない」「自分は中立」というのは、単純に現状の政治状況、政治体制擁護でしかない。それ自身も立派に政治的な態度だ。
ま、それはともかくジャーナリスト、は反権力を貫かなくてはならない。これは、格好付けやスタンスの問題ではなく、ジャーナリストたる宿命だ。なぜなら、権力側には自己をプロパガンダする力がある。自己正当化を幾らでも図る事が出来る。だから、それに荷担すれば単なる幇間でしかなくなるのだ。これは、どこが政権を獲っても同じだ。それが民主党であろうとどこであろうと。
日本ジャーナリスト会議がそこまで徹底しているかはわからないし、少なくとも現在のマスコミにはその気概は見られないけど、花岡がジャーナリストに値しないのは明らかだ。

 ・「反米・反基地団体」や地元の首長、議会などは、事件を奇貨として、日米政府を責め立てた。そこには、少女の人格への「尊厳」などとは別次元の政治的思惑が作用していた。

少女の「尊厳」を一番蔑ろにしていたのは、「反・反米/反基地団体」を打ち出したオマエだろ?まさに政治的思惑による。

・地元首長や議会には、10年以上もたちながら、自らの調整能力の不足で先送りさせてきた「普天間移設」をさぼる口実ができた、といういやらしい思惑があった。

米兵犯罪の問題は沖縄ばかりではないくらいはジャーナリストであれば承知していなければならない。沖縄は最も被害を被っている地域であり、それは米基地が集中しているからだ。つまり、問題は「普天間問題」に限る訳じゃない。問題は「日米地位協定」であり、日米関係自体にある。その問題先送りを続けてきたのは歴代自民党政権だ。


それから、こんな事まで書いている。


・14歳少女にはこれを教訓として生きてほしい

沖縄の米兵暴行事件の「被害者」、14歳少女が告訴を取り下げた一件は、ネット社会で最大の話題となっているようだ。

 この少女のことをまず考えると、軽率にも米兵のバイクに乗ってついていってしまったことが、日米関係を揺るがせ、「反米・反基地」勢力を勢いづかせてしまったことを、どこまで理解できるか不明だとしても、ともあれ、このことを人生の大きな教訓として生きてほしい。

 そのことを願っておく。そうでないと、いつまでも「米兵の蛮行の被害少女」として扱われることになってしまう。少女を政治的に利用しようとする勢力がこんなにもいたことに、本人は当惑し、沖縄の現実を痛いほど身にしみてわかったはずだ。

http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/499008/


なんじゃ、そりゃ。被害者が反省し教訓としなくてはならないのは、「反米・反基地」勢力を勢いづかせてしまったこと、だって?コイツ、真性の「基地外」か。
コイツ、自分の論理展開の矛盾が判ってないのかな?


もし、米兵による事件は“無かった”のだとしよう。だとすれば、最初にコイツが書いていた、“米兵にノコノコ付いて行ったのが悪い”という論理は成り立たない。なぜなら、米兵は“無害”だったのだから。だとすれば、花岡は米兵を一括りデフォルトで“危険人物”として認定する、という人倫に劣る態度を示したことになる。


もし、米兵による事件が“あったのだが、取り下げた”のだとすれば、取り下げる事になった経緯・背景に想像を巡らさなくてはならない。それは当然この手の事件で付き物の「セカンドレイプ」によると考えられる。とすれば、このエントリーのような無神経な事は書けないはずだ。


そのいずれであろうと、花岡はジャーナリストどころか、良識を持つ市民として失格なのである。
後半の米兵の告訴うんぬんは、何のつもりなんだろ。大人しく黙っとけ、という脅しか?
で、おまけが

自分の知らない間に、書いたものが勝手に批判の対象になっていることを、あとで知ったりする。それでもかまわないが、相手を批判したら、トラックバックぐらいはやってほしいものだ。あるいは、コメントでもいい。

なるほどね。こちらとしては情けでTB掛けなかったのだが、それじゃ遠慮無く掛けさせて貰う。

当方は何をいわれてもいいが、関係する新聞社や大学、団体などを引き合いに非難を浴びせるというのは、フェアーとはいえない。こちらの「過去」を持ち出すのも、なんともはやである。

個々のジャーナリストじゃなく、日本ジャーナリスト会議や、日頃は朝日新聞や市民団体を取り上げて中傷するヤツの言葉じゃないね。本当に天に唾する、だなぁ。