シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

それでもボクはやってない

土曜日夜、TVで見た。噂には聞いていたし、見に行こうとして行けなかった事もあって期待していたのだが、予想以上にインパクトがあった。
冤罪事件に関しては、あちこちでニュースにもなっていたりするのだが、その中でも痴漢冤罪というのはテーマとして取り上げるのに適した特徴がある。

・誰にとっても身近である
・加害容疑者および被害者の両者に感情移入できる
・頻繁に起きる割に容疑も潔白も立証が難しい

自分は現在満員列車で通勤する生活は送っていないが、かつては首都圏で満員列車に揺られる生活があった。最近も首都圏に出た時に通勤時間帯の列車に乗ったのだが、物を押し込むような非人間的扱いに閉口しつつ、痴漢に間違えられないようにしないと、と考えていた。大概、両手を胸のところで交差するようにして対処している。

映画では容疑者となった金子徹平の視点に立ち、話もろくに聞かない駅員、刑事、検事、接見弁護士、判事に憤りを感じるわけだが、単にそれだけでは済まない事に気付く。彼らの立場に立てば、金子は被害者中学生に現行犯で捕まった明白な容疑者であり、一連の流れは誤魔化しているように見えるのも仕方ない、ということだ。
痴漢は容疑を掛けられた側にとっても身の潔白を立て難いが、被害者にとっても訴えて立証するのが難しい。ともに世間からの目は厳しく、立ち向かうにはつらい。その中ではキチンとした取り調べが必要だけれど、関わる刑事も検事も弁護士も判事も、抱える事件が多すぎる。容疑者、被害者ともにおろそかにされたくない出来事であるが、裁判に関わる人々にとっては“多くの中の一つ”に過ぎない。そのギャップが理不尽さを拡大させている。冤罪は単に容疑者に対して理不尽なだけではない。真犯人を野放しにすることになり、被害の拡大に繋がる。安易な解決をゆるさない憂鬱なラストで提示されているのは、如何にしたら冤罪を防げるのか、適切な犯罪対処とはどうしたらよいか、の問いである。


捜査や司法に携わる人を増やす事も一つ。取り調べの可視化、弁護士の立ち会い、考えられる事はたくさんあるが、現在の状況は程遠い。以前取り上げた富山の強姦事件、鹿児島の選挙違反事件、そして御殿場の強姦事件などがあるが、静岡における犯罪捜査、刑事裁判の一番の汚点といえば、「袴田事件」だろう。


袴田ネット・袴田事件
http://www.hakamada.net/hakamatajiken/jiken_menu.html


あからさまなでっち上げ証拠にも拘わらず最高裁までその問題を看過し、再審請求の続く現在、当時の地裁判事からも冤罪だったと認識していたとの意見が聞かれる始末。
警察は取り調べの可視化には「支障が出る」として頑として認めないが、相次ぐ冤罪は警察・司法に対する不信感を募らせるだけである。かえって、犯罪対策においてマイナスにしかならないだろう。裁判員制度を控える今、真摯に考えて欲しいものだ。


見どころはそれだけじゃなくて、代用監獄となっている拘置所ってこういうところか、というあたりも興味深かった。それにしても、普段、気のいい善人役が多い小日向さんの冷血無比な判事役は、憎たらしいほど決まってた。役者ってすげぇ。