シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

アンタッチャブル

以前、チベット自治区争乱問題で取り上げたが、中国を旅していた時のこと。自分たち、貧乏バックパッカーが買い物をするのに良く利用する手として、「兌換紙幣両替」があった。


当時中国は外国人の貨幣両替に制限があって、兌換紙幣(券)と呼ばれる外国人用紙幣と、人民元が区別されていた。開放政策の初期で、交換レート維持のためだったらしい。海外通貨と交換できるのは兌換券だけで、外国人はホテル・交通機関も兌換券でないと利用できなかった。
そのへんに目を付けた商売が「兌換紙幣両替」である。つまり、公定レートより分のいいレートで、円や兌換券を人民元にしてくれるのだ。当時で1.4〜1.5倍くらいの差があった。兌換券で100元とすれば、140〜150(人民)元になる。これは、こちらでも好都合だった。そこらへんで食事したり、買い物するのに資金が増した様なものだからだ。もちろん、人民元になるとホテルや交通機関(といっても飛行機や汽車だが)は利用できない。しかし、言葉などに慣れてくれば人民元でも大体のところが通用するようになる。
自然と、貧乏長期滞在外国人の間では「どの程度良いレートで交換できたか?」の情報が飛び交うようになっていた。


実際には非合法な闇両替に携わるのは、大概がウイグル人だった。道の端にたむろし、外国人と見るや「チェンマネ、チェンマネ、グッドレート!」と交換(Exchanging)を持ちかけてくる。集まってくるウイグル人は口々に他のヤツより高レートであることをアピールするのだが、実際に交換すると、やたら誤魔化そうとするのだった。高レートに釣られて両替すると、実際には見合うだけの紙幣が無い、なんてのは基本で、目の前で勘定させても読み上げる言葉と手が合わなかったり、紙幣を折りたたんで多く見せ掛けたりしていた。自分たちは、そんなウイグル人の両替時の詐欺手口を「ウイグル・カウント(勘定)」と呼んでいた。
つまり、ウイグル人は総じて“いかがわしい”連中、の扱いだったのだ。一般の漢族はウイグル人回族)をならずもの扱いしており、チェンマネにもいい顔をしなかった。
大概のウイグル人は、故郷新疆ウイグル自治区で、漢族の進出と経済成長に伴い職を失い沿海州の都市に出てきた人達だった。見かけ上はともかく、実質は漢族に差別される彼らは、きつい肉体労働か合法とは呼べない仕事に従事する。住む場所もやんわりと制限され、同郷の人達と固まるようになる。そこは、段々とアンタッチャブルな地域に変わっていき、危険な地域と目されてきているようだった。
知り合いになる漢族住民は、「アイツ等は怠け者で犯罪者だから近寄らない方が良い」と云い、実際、外国人でもナイフを突き付けられたり、恐喝にあったり、バッグを盗まれたり、インチキ漢方薬を売りつけられたりが珍しくなかった。
ウイグル人の住む地域は危険で、連中は犯罪者で、分裂煽動者が入り込んでいる。
それが、中国におけるウイグル人の扱いなのだった。


これは、実はチベット族も同じで、彼らも中国の至る処でそういう扱いである。自分が以前


チベット虐殺に対して中国政府を糾弾する
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080317/1205744918


で述べた事には、少数民族がどう見られているのか、の背景があった。一般的な中国人(漢族)にとっては、チベット族は「貧しく、怠け者で、政府に逆らう、犯罪集団」のイメージがあり、それも、チベット族居住地近くの人の方がそう思っている。
世界中でも同じで、マイノリティーはその立場ゆえ、非合法活動に近しくなりがちだ。彼らが住む地域も、各所から排除されて住み着く事もあって、段々にスラム化する。ニューヨークのハーレムやロサンゼルスのダウンタウン、ロンドンのソーホー、ヨーロッパ各地のゲットー、etc。近年のフランス暴動アルジェリア系住民地域がどうみなされているか示したろう。


今回の大阪あいりん地区の暴動も同じである。

西成のあいりん地区(釜ヶ崎)で暴動が起きている件 - 昨日の風はどんなのだっけ?


ブクマでは冗談っぽく書いてしまったけど、「西成で暴動です」と報道しても、地元の関西人は「ああ、またか」で済ませてしまうから、在阪マスコミが視聴者の食いつきの悪いネタに時間を取らない、というのは真面目な所だと思うのと、紙媒体のメディアも何だかんだ言っても東京に集中している、大阪のドヤ街での暴力沙汰という事に、東京のメディアがニュース性を感じない、というようなことはタブーやら規制やらいう前に、考えておいても良いことだと思う、(略)


そのタブーや規制の件については、「ジャーナリズムは死んだ」という前に、この件についてタブーとか規制とかではなく、迂闊に踏み込めない、マスコミもどこに立脚して報道して良いか判断尽きかねている、という所はもう少し分かって欲しい所だと思う、少なくとも警察が100%信用出来ない相手だったとしても、その相手となる労働者支援している連中だって、ヤクザと新左翼同和利権者と宗教とが複雑と入り乱れた、信用出来ない連中だということは、押さえとかないといけない。

http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080617/A


もし、あいりん地区の暴動をこう評してしまうなら、チベットの争乱も、ウイグルの苦境も、“迂闊に踏み込めない、どこに立脚して報道して良いか判断尽きかねている”と云ってしまうことが出来る。
チベット支援している連中は、ヤクザと帝国主義者チベット資源を狙う利権者と宗教とが複雑に入り乱れた、信用できない連中だ、という事を押さえておけ”、と反論されたらなんと主張する?
「お前らは西成を知らないだろ?」と叫ぶなら、「お前らはチベットウイグルの何を知っている?」と主張されるだろう。
複雑なものは複雑だ、そのまんま捉えろ、という主張には意義があるが、しかし、それは問題を無視して良いことにはならない。
アイヌ問題でもそうだったが、足下をおろそかにするべきではない。日本におけるマイノリティ差別の構図は決して特殊なものではなく、他国の問題とも共通性がある。
「他人のふり見て我がふり直せ」
これほどピッタリする言葉は無いだろう。


参考:


シートン、反省する
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080229/1204273330