シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

黙って大人しく死んでくれ

つい最近の事。後輩達と話をしていたのだが、昨今の経済状況と無能な麻生政権の話は定番、浜松の景気状況について触れた。以前、説明したとおり浜松を含めた静岡県西部の労働環境は著しく悪化していて、ブラジル人を含めた外国人労働者の姿をめっきり見掛けなくなった。


「最近、ブラジル人の姿をめっきり見なくなったよ。工場も開店休業状態らしいし。解雇されてもブラジルに帰ったりするのは難しいんだろうな。どうしているんだろ。」


こちらはブラジル人達がどうしているか心配だった。


続々と募金が寄せられています。(浜松ブラジル人緊急会議BLOG)
http://soshamamatsu.hamazo.tv/e1672580.html

皆様、ありがとうございます。
18日以降、TV、新聞、ラジオ等で報道していただき、本当に多くの方から
たくさんの募金をいただいております。


現在、ブラジル人失業者を援助しようという活動が進んでいるが、やはり行き渡らない様子だ。生活が成り立っているのか、特に子供達、学校にも通えなくなり、ブラジルよりは日本により馴染んでいる彼らはどうなのか。
しかし、後輩の一言はそんな気分を吹き飛ばした。


「そんなことより、治安が心配ですよね。彼らが暴れるかもしれないし…」


失業ブラジル人による犯罪増加、治安悪化に懸念を抱く姿は、以前のエントリーのコメント欄でも窺えた。しかし、彼らの身を案じるより、彼らのまだ起こしてもいない犯罪の方が心配だ、なんて言葉が面と向かって語られるとは。匿名でも覆面でもない。相手もそう考えているのが当然であるかのように語られる言葉。後輩の名誉のためにいっておけば、彼はごく当たり前に成人男性に過ぎない。どちらかといえば社交性にも富み、親切なヤツだ。それでも、ブラジル人に対してはそんな見方しか出来ないのだろうか。
そして、気になった言葉があった。


「暴れるかもしれない」


なるほど、彼らの置かれた環境は、暴れても当然の環境だ。劣悪な労働環境で低賃金、長時間労働に耐え、地域の偏見に晒されながらようやく生活を営んできたら、まるでモノか何かのように、ポン、と捨てられる。先の見えない不安に苛まれて、直接行動に出たとして、誰がそれを責められるだろう。だが、そのいわば「当然」の行動でさえも、不安がられてしまうのだ。


裏返せば、日本人はそのような立場にあっても暴れない、そういう事なんだろう。
派遣村」に纏わる感想などを思い起こせばうなずける話だ。派遣村の存在自体が気にくわない人々、派遣村の人々が「政治的」である事に対する批判、ささいな行動でさえ目の敵にする態度。
うち捨てられた人々は、助けを求めても声を上げてもいけないのだ。


炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断
http://www.asahi.com/national/update/0313/TKY200903130167.html

不況の深刻化とともに、路上生活者のための炊き出しに並ぶ行列が伸びている。そんな中、隅田川にかかる駒形橋(東京都墨田区台東区)では、近隣住民からの苦情を受けて3月末で炊き出しが中止になる。ベテランのボランティア団体が12年続けてきた活動だけに、ほかの団体にも不安が広がっている。

 5日午後2時、墨田区側の駒形橋近くの「隅田川テラス」と呼ばれる川沿いの遊歩道に長い列ができた。NPO法人「山友会」が行う毎週木曜の炊き出しだ。パック詰めのご飯を求めて349人が集まった。

 並んでいた男性(71)が、「炊き出しスケジュール」と書いた紙を見せてくれた。曜日ごとに各団体の炊き出しの場所を支援団体がまとめたものだ。東京の東部地域の木曜の欄は「14時〜隅田川・駒形橋」の1カ所だけ。浅草の商店街で路上生活を送るこの男性は「ここがなくなれば木曜は腹をすかしたまま寝てしのぐしかない」と肩を落とす。

 山友会の代表ルボ・ジャンさん(64)によると、昨年9月、遊歩道を管理する東京都第五建設事務所の職員から「場所を変えて欲しい」と申し入れがあったという。12月に「3月いっぱいで駒形橋下の炊き出し行為を中止する」という文書に署名した。「せめて寒い時期だけは」(山友会)と3月末までになった。

 第五建設事務所は、河川法に基づき「公共の空間で独占的な使用は認めがたい」と指導してきた。管理課によると、近くに児童公園があり「子どもが声をかけられ怖がる」「狭い道で並んでいると通りにくい」といった苦情は07年度から少なくとも十数件あったという。同事務所の担当課長は「昨今の厳しい経済情勢は理解しているが住民の苦情もないがしろにできない。両立できればいいが難しいところだ」と話す。

隅田川沿いや近くの上野公園は段ボールやテントで野宿する人が多く、簡易宿所の集まる山谷からも近い。昨秋から不況が深刻化した影響か、この1年で炊き出しに並ぶ人は200人から500人に増えた。生活保護費の支給前だった前週は512人にまでふくらんだ。

■周辺の団体にも動揺

 「あれだけ手際よくやっていた山友会がダメなのか」。駒形橋に近い蔵前(台東区)で毎週日曜に炊き出しをしている浅草聖ヨハネ教会の牧師、下条裕章さん(49)はショックを受けている。

 99年ごろから教会の敷地内で「日曜給食」として炊き出しをしている。01年秋には50〜60人くらいだったのが今では300〜400人。最も多い日には500人を超える。

 教会では厳しいルールを定めている。どうしてもその日に食事をとることができない人に限る、配布30分前より前に並ぶことは禁止、近隣の公園で食べない。それでも、ゴミが捨てられた、自転車を置きっぱなしにした、などのクレームを受けたという。活動中止の要望も来ている。

 上野駅地下通路で毎週日曜に炊き出しをしていた山谷労働者福祉会館も、近くに飲食店ができたため8日を最後に中止した。これまで上野公園と駅地下通路の2カ所で行っていた炊き出しを上野公園だけで続けていくという。

 「近隣の方のためには炊き出しを一切やめるのが一番だが、これだけの人が困っているのも現状。どうするべきなのか。ずっと悩みながらやっている」と浅草聖ヨハネ教会の下条さんは話している。(中村真理子、川崎紀夫)


「近隣の苦情」というのがどういうものだったのか自分には判らない。しかし、路上生活者を含め、この炊き出しの列に並ぶ人たちにとっては、命に関わってくる可能性さえある話のはずだ。
「近隣の苦情」と「路上生活者の保護」は比較出来るような話なのか。彼らが近くにいると何が不安なのか。そこには想像力が決定的に欠けてはいないか?
似たような話は浜松にもある。


解雇・貧困問題「共有して」
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000190903090001

 「トドムンド浜松派遣村」村長になる司法書士  榛葉(しんば) 隆雄さん(47)

 今月29、30日、浜松市内で開村する「トドムンド浜松派遣村」の村長になる。年末年始、東京・日比谷公園に約500人が集まった「年越し派遣村」に、浜松から来たと語る失業者の姿があった。「自分も何かしないと」との思いがこみ上げた。


榛葉さんの行動には頭が下がる思いだ。手伝いに行ければ行こうと思う。一方で、この浜松派遣村には問題がある。

日比谷公園派遣村との違いは、住居を失った人たちのための寝泊まり用のテントを設営しないことだ。公園を管理する行政側は「宿泊用のテント設営はしないこと」を条件に、一帯の使用を許可する方針だと聞いた。「ならばなおさら『市が責任を持って住居を確保してほしい』と強く主張していきますよ」

日比谷の派遣村が注目を浴びたのは、行くところのない人たち、の姿を、テントに泊まる事で鮮明に示して見せた戦術にもあったと思う。それは、行政の無策を炙り出し、責任の所在を明らかにした。浜松はより狡猾だ。宿泊が出来なければ、それは相談イベントになってしまう。榛葉さん達の責任ではないが、しかし、日比谷ほどの影響力が与えられるだろうか。


隅田川の炊き出しに対する圧力、浜松派遣村の宿泊拒否、いずれも根は同じだ。
職を失い寄る辺のない人々には、黙って大人しく死んでいって欲しいのだ。野良猫の末期のように。自分の見えないところで。罪の意識を感じなくて済むように。


それは冷たさゆえでは無いのだろう。どちらかといえば、自分達も薄々感づいているからかもしれない。それが自分達の未来となりうる事に。その不安の源泉を直視したくはない、そんな感じがする。
だからこそ、自分達の「生きさせろ!」の主張を訴える事に不安を覚え、冷笑し、批難するのだろう。ブラジル人達にしろ、「派遣村」の人々にせよ。


諸外国であれば、職や住み処を失った人が示威行為に打って出るのは当然の事で、人々もそれを支持するのが普通だ。それは自分達の身にも降り掛かる可能性があるからこそ、それに共感を惜しまない。日本だって、決して社会からの繋がりを断たれんとする人たちに冷たくは無かったはずなのだが。


声を上げよう。訴えよう。「生きさせろ!」と叫ぼう。それに共感しよう。
でなければ、キミもどっか人目に付かぬところで、「黙って大人しく死んでくれ」と願われることになるよ。