性善説と性悪説
このエントリーは
黙って大人しく死んでくれ
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20090319/1237474460
の続きです。
前回のエントリーはだいぶ反響がありました。こうした内容に反応があった事はうれしく思います。
有村さんがおっしゃるとおり、
「○○について知ってほしい」というのが弱者にまつわる問題を取り上げるときの常套句だけれども、それは文字通り「知ってほしい」のだ。
(「黙って大人しく死んでくれ」と願われる者は幸せである)
なんですよね。在日ブラジル人に限らず、地域の「知られていない」声に耳を傾けるきっかけになれば幸いです。
さて、コメント欄が非常に興味深いことになりました。少し取り上げてみたいと思います。
電池さんのコメント
ブラジル人コミュニティとの断絶のせいもあるんじゃないでしょうか。
知らないものは恐怖の対象になります。
おそらく、日本語がわからず日本人社会に溶け込めないブラジル人も日本人が怖いのでは。
ブラジル人が多い団地では、日本語が喋れないブラジル人のために団地の催しや規則の説明会を定期的に開いたり、さらには日本文化に馴染むための催しを開きお互いに知り合えるよう努力しているところもあるそうですよ。
死んでくれという前に、ブラジル人のお店にいっしょに行ってみたりすれば案外親しみが生まれたりするかもです。ブラジル料理はウマイですよ。
そのような試みは結構行われていますね。私はサッカーをやるので、ブラジル人達とも試合をしたり、チームメイトにいたりという環境にありました。ブラジル料理も以前紹介した「セルヴィツー」などで食べたりしています。それもあって関心を覚えているわけです。今回取り上げたボランティア活動も、交流活動の一環として行われているモノです。問題はこうした試みさえも無視するようなレイシズムなんですよ。
実は昨年は日本からの移民/移住百年という記念の年だったのです。
日伯交流年 ブラジル大使館公式プロモーション
http://brasil2008.jp/
酷い話ですよね。日本からの国策としてブラジルへの移民が行われたわけですけど、戦後にも移民活動は引き継がれています。都合によって移民を促し、都合によって労働力として呼び寄せる。その挙げ句に“めでたき記念の年”に使い捨てにするのですから。
散々ゼノフォビアのステロタイプを撒き散らす連中が書き込みしてますけど、在日ブラジル人労働者はもともと日本人である、事さえも念頭にないようです。もし、彼らが危険で犯罪者予備軍である、というならば、それはすなわち自分達に向けられるべきセリフなのですよ。もちろん、私は日本人でなければゼノフォビアを向けても良いというつもりはありませんが。
さて、田中、とか名乗ってるゲス野郎がアホな事を書いてますね。
海外に仕事でよくいきます。
海外の貧困層と日本の貧困層の決定的な違いは教育です。
教育は一般常識や倫理観を育てます。
それは生まれもって備わっているものではないのです。
一度、ブラジル、その他アジアの貧困層に触れてみてください。
性善説で接すると大変なことになります。
日比谷公園の派遣村の例と同等に扱わないほうがよいと思います。
まず、仕事で海外に出る人間、とやらが貧困層について何を知っているつもりなんでしょうかね。
海外に出るサラリーマンが貧困層どころかその国の人間を見下していたのはよく見掛けました。
もちろん、貧困層に対して同情も共感もしますが犯罪を許容するつもりはありません。必要な事は隔離でも否定でも無視でもなく、彼らの問題を認識し適正な対応を取る事です。教育が足りない、というのであれば教育の場を設け、貧すれば鈍するのであれば就労または生活保障の方策を講じる。別に特別な事は必要ありません。
付け加えるならば、日本へ出稼ぎに来たのは別にブラジルの貧困層ではありません。
さて、この「田中」といい、その他の輩のように「犯罪への懸念・治安悪化」を「差別」の正当化に利用するのは連中のオリジナルなどではありません。それこそ、世界各国で移民を含めた外国人に対して向けられる差別正当化の理屈です。アメリカにおけるアフリカ系住民、ドイツにおけるトルコ移民、フランスのアルジェリア移民やベトナム移民、イギリスのアフリカ各国からの移民やインド人に対する偏見、etc。
どこにおいても同じですが、移民による犯罪率が高いなどという事はありません。日本においても同じです。「外国人」による犯罪はどこでも喧伝されます。ゆえに犯罪が多く見えますが、そのような事は無いのです。もちろん、経済状況の厳しい移民に犯罪が増える事はあり得る話でしょうが、それは“外国人ゆえ”ではなく、“貧しさゆえ”という誰でもあり得る原因です。
id:hit-and-runさんがそれを踏まえて皮肉をおっしゃってますね。
>彼等が何故に貧乏でそれ故海外に働く場所を求め、行く先でどんな問題を起こすのかわかると思いますよ。
黄禍論者も同じようなこと言ってたと思うぞ。
日本人がアメリカやブラジル、ジャマイカなどに移民した時に、そのように見られた事をどう考えているんでしょうね。さらに、戦前日本は国策として朝鮮半島や中国東北部(旧満州)などにも移民として渡っているのですが。他所から見られる自分達に思い至らないのは間抜けもいいところです。
もう一つ。
id:tetu1217さんの
後輩さんが懸念されたのは、殺人起こしてブラジル帰ったりとかそーゆー経緯があっての発言では?
なるほど。その事件をもって、在日ブラジル人を「懸念」したと。
では、日本人は無差別殺人を起こしたりとかそーゆー経緯があるんで、危険なんですね。
秋葉原通り魔事件
http://tinyurl.com/4j67t3
下関通り魔殺人事件
http://tinyurl.com/6qkpvo
土浦連続殺傷事件
http://tinyurl.com/9now6z
そういうのを「差別」というんですよ。気をつけましょうね。
あと、気になる言葉がありました。
「性善説」
なんか「性善説」って、侮蔑の対象として使われる事が多いようですが(世間知らずか甘ちゃんの態度として)、「性善説」を根本的に誤解してるんじゃないでしょうかね?
「性善説」は、人間の性(本性)は善、という事ですが、別に悪事を行わないとか信用出来る、という意味ではありません。逆も同じです。
「性悪説」は、人間の性(本性)は悪、という事ですが、別に善行を施さないとか信用出来ない、という意味ではありません。
「性善説」においては、生まれたままの状態では「善」ですが、“歪んで”育てば「悪」に染まる、と考えます。
逆に、「性悪説」においては、生まれたままの状態では「悪」ですが、“教育する”ことで「善」と成す事が出来る、と考えます。
つまり、悪人を見た場合、「性善説」に立てば“歪んで育った”と考え、「性悪説」に立てば“真っ直ぐ育てなかった”と考えるわけですね。もっと大雑把に言えば、赤ん坊を見て「無垢な存在だ」と考えるか、「本能のままに振る舞うケダモノだ」と考えるか、ということなのです。いずれにせよ教育が大事である事には代わりがありません。
ですから、どちらの立場に立とうと、見ず知らずの人間を信じる信じないは関係ないのです。それは別の問題です。
最後に。
id:Arturo_Uiさん、JJさん、デミトリーさん、助詞中学二年生さん、nacoさん、トクメイの人さん、貧寒さん、プッさん、モモさん、コメントありがとうございました。今後もよろしく。