シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

痴的コンプレックスでございます。

はてな」という、知的コンプレックスがある人たちのコミュニティ (日々の色々・The colour of the sun)
http://d.hatena.ne.jp/colourofthesun/20090524

「日々の色々・The colour of the sun」を読んでいる皆さん、特にはてなダイアリーで書いているブロガーの皆さん、どう思う?知的コンプレックスあるの?ないなら、声を上げてください!


すいません。ネイティブで無い方にこんなダジャレのタイトルでお答えして。


自分としては、逆に“深く考えない”事に対するコンプレックス、があります。どういうことか、というと


勉強が出来ない態度を装う、というスキル
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081229/1230524958


気になる人に「お仕事って、どんな事されてるんですか?」と訊かれたら?
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20090113/1231856153


周囲の人たちとの考え方のギャップ、というものに悩んできたからなんですね。
例えば、この自分のブログにおいて力を入れてエントリーしている話題として「地方問題(スプロール化など)」や「疑似科学歴史修正主義」「死刑問題」「差別・人権問題」などがあるわけです。自負してよければ、自分がテーマアップしてきた話はそれなりに耳目を集めるものとなっているようです。


ですが、このような話題について自分の(普段の生活の中における)周囲の人たちにはこのような話をすることは難しい。そもそも話題とすべき状況が少ないという事もありますけど、拠って立つべき情報量が違いすぎる。ある程度“空気を読む”事が出来るなら、そのような話題をダラダラ続ける事は難しい、と悟るでしょう。それどころか、「死刑に反対する」ような話をしようものなら、“黒い羊”扱いされる事間違い無しです。深く考えなくて済むのなら、その方が幸せなのかもしれない、とも思います。それが良いか悪いかは別として、知識を得て出来うる限り洞察する事が習慣になってしまった。


一般の人は確かにそこまで深く考えたりはしない。それに合わせて暮らしていく中で「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶところが欲しかったんですね。その穴がはてなだったわけです。なぜ「はてな」だったか、といえばよく読んでいたブログがはてなに多かった、というところです。


これが知的コンプレックスである、というなら多分そうですね。はてなが日本を代表するかもどうでもいいです。自分は自分ですから。