シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

強制労働の事実はごまかせない

世界遺産登録を巡って日本政府の酷さが知れ渡ってますね。

首相「強制労働認めたものではない」

安倍総理大臣は、衆議院の特別委員会で、「明治日本の産業革命遺産」を巡る世界遺産委員会での日本政府代表の発言について、先の大戦中に朝鮮半島の人々の強制労働があったことを認めたものではないという認識を示したうえで、韓国政府からの反論もないと強調しました。
この中で、民主党の細野政策調査会長は、「明治日本の産業革命遺産」を巡る世界遺産委員会で日本政府代表が、「1940年代にいくつかの施設で、多くの朝鮮半島の出身者などが、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」と述べたことに関連して、「非常に大きな代償を払った可能性があり、問題だ」と指摘しました。
これに対し安倍総理大臣は、「『対象者の意思に反して徴用されたこともあった』という意味で用いており、先方にもそう伝えている。岸田外務大臣が、直ちに記者会見で、『強制労働』を意味しないということを明確にし、日韓基本条約の際の取り決めを覆すものではなく、徴用工の裁判などで利用することもないと明確にしている」と述べました。
そのうえで安倍総理大臣は、「韓国政府が『岸田大臣の記者会見での発言は間違っている』と、今まで一度も言っていないということは、まさに確認された証左だ」と述べ、韓国政府からの反論はないと強調しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150710/k10010146111000.html

官房長官「強制労働を意味しない」 世界遺産登録

一方、菅義偉官房長官は6日午前の記者会見で、登録にあたり、日韓の間で焦点となった「徴用工」をめぐる表現について、「我が国代表団の発言は強制労働を意味するものではまったくない」と説明。韓国での損害賠償請求訴訟などへの影響についても「1965年の日韓請求権協定で完全、そして最終的に解決済みだ」とし、「韓国政府が今回の我が国代表の発言を日韓間の請求権の文脈で利用する意図はないことは確認している」と強調した。

http://www.asahi.com/articles/ASH763S9GH76ULFA00C.html


内弁慶もいいとこですが、なぜ、日本語を解する外国人がどう捉えるのか、について想像力が及ばないのか理解に苦しみます。そして、このような理屈が対外的であれ、対内的であれ通じるはずもありません。
アメリカを始めとする奴隷制度や南アフリカアパルトヘイトナチスドイツのニュルンベルク法に基づく人種差別、どれも当時は“違法”では無かったわけですが、そんな事が免責になるはずもありません。歴史を直視せよ、という呼び掛けに対して、あのような態度で臨めば、それは人権感覚が“当時と”同じであることを露呈させます。
先日、アメリカの議会演説で何て述べたんでしたっけ?


しかし、このような言葉は国内であれば問題にならない、ダブルスタンダードであっても通用する、と踏んだんでしょうか?まぁ、人権後進国“シャラップ”日本でなら通じるのかもしれませんね。でも、日本国内にだって各国民や外国人特派員がおり、政府のドメスティックな発表だって知ることが出来ると考えなかったんでしょうか?


さっそく、次のような話が持ち上がっています。

世界遺産:“強制労働は韓国人だけではない”米研究者、連合軍捕虜に言及

産業革命遺産」登録に関しては、少数ながら欧米からも懸念の声が出ていた。慰安婦問題などで、安倍政権の歴史認識をたびたび批判している、米非営利研究団体「アジア・ポリシー・ポイント」のミンディ・コトラー所長は、世界遺産登録決定前に、ディプロマット誌に登録に反対する記事を寄稿していた。

 コトラー氏は、過去のプライドを取り戻すために、歴史の一部を語らないという安倍政権の方針を批判。さらに、観光振興に期待をかける「産業革命遺産」の候補地の多くが、安倍首相、麻生財務大臣、林農水相の地元にあると指摘し、麻生氏や林氏のファミリー企業である、麻生グループ宇部興産を含め、当時の日本の大企業が、第二次大戦中に連合軍の戦争捕虜(POW)に奴隷労働を強いていたと述べている。また、候補地となっている北九州、長崎の港は、3万5000人のPOWが入国した場所でもあると指摘している。

 そもそも日本における奴隷労働は、19世紀の明治時代から行われていたとコトラー氏は指摘。1930年代までは、服役囚、農地改革で生まれた土地を持たない農民、放浪者、女性が炭鉱労働に従事させられ、中国人、韓国人も炭鉱、工場、港湾での重要な労働力となっていたと述べる。そして世界遺産登録に当たっては、そのような日本の産業化における事実がないがしろにされていると主張する。

 同氏は、日本が伝えようとする物語は、ユネスコの判定基準である「普遍的価値と意義」に見合わないと指摘。「産業革命遺産」は日本の産業化全体の歴史を省略したもので、ユネスコがそれを受け入れることは、その憲章と、大日本帝国のために奴隷となった多くの人々の記憶にとって害となる、と述べている。

http://newsphere.jp/politics/20150706-3/


戦時中に強制労働に従事させられたのは、朝鮮人ばかりではなく、連合軍捕虜や中国人もいました。

いい加減、このような態度を取り続けることは、日本を孤立させるだけだと悟った方がいいと思うのですが。
以下は、この騒ぎが起こる前に朝日新聞の地方面に掲載された記事です。

中国人鎮魂 静かに40回
西伊豆の鉱山跡 12日慰霊の集い

太平洋戦争末期、西伊豆町大沢里の白河地区にあった鉱山で、強制連行されてきた
中国人労働者が多数死亡した。その慰霊の集いが12日、地区住民も参加して開かれる。小さな集落で静かに続く鎮魂と平和の祈りは今年で40回。高齢化が進む中、歴史を伝えるために少しでも長く続けようというのが住民の思いだ。

住民たち「少しでも長く」

白川は街の中心から仁科川をさかのぼって約10キロ。集落の外れの山道をさらに2キロ行くと、少し開けた所に高さ約6メートルの「中国人殉難者慰霊碑」が建つ。1976年、県日中友好協会や労働団体などが中心になって寄付金を集め、建立された。実行委員会には当時の知事も名を連ねた。
「慰霊の集い」が始まったのはその時から。白川町内会が主催し、西伊豆町が事務局を担う。当時、町内会長で実行委員会に加わった斉藤照武さん(87)は、「日中国交正常化からまもなくで、友好に役立つならという気持ちだった」と振り返る。
外務省が1946年にまとめた「華人労務者就労事情調査報告書」や現地を調査した県近代史研究会の竹内康人さんらによると、白川には戦時中にミョウバン石を採掘する「戦線鉱業仁科鉱山」があった。戦況の悪化でアルミの原料の輸入が難しくなり、代替品のミョウバンの増産が国策として指令された。白川に送られた中国人労働者は200人で中国を出発。移送途中に22人が死亡し、1945年1月に白川に到着した。それから帰国までにさらに82人が死亡したが、多くは栄養不良だったとされる。
斉藤さんは、中国人が働かされた鉱山に勤めていた経験がある。斉藤さんによると、周辺住民の他動員学徒の朝鮮人労働者も働いていた。中国人の宿舎は集落から離れた川上の一番奥。中国人の始業は朝早く、日本人とあまり顔を合わせないようにされていたらしい。待遇はひどく、まともに働けるような栄養状態ではないように遠くからでも見えた。死亡が相次いでいるとの話も伝わってきたという。
94年、生き残りの中国人2人が慰霊の集いに招かれて来日し、碑の前で死んだ仲間を思い起こしたように声を出して泣いた。その姿を見て斉藤さんは「いかに無念だったか。戦争のむごさを改めて痛感した」という。2人は招待の経過をまとめた冊子に手記を寄せ、「街を歩いていて突然、日本軍に拉致された」と証言している。
53年、強制労働させられた中国人の遺骨送還運動が日本赤十字社などが中心となって全国的に起きた。白川に慰霊碑が立ったのは運動にかかわった人たちが西伊豆町に働きかけたのがきっかけだ。その一人、熱海市議の山田治雄さん(88)は「遺骨は送り返したものの、そのあとは放置しておいていいのかと気になっていた。碑ができて歴史が継承された」と話す。
かつて中国大使館関係者が出席したこともある集いは、簡素化の傾向にある。地区の人口は28世帯54人で、最盛期の5分の1.60代が「若手」とされる。町内会からは役員ら数人が参列するだけで、多くは日中友好団体の関係者ら地区外からの人たちだ。
昨年まで5年間、町内会長をした梅田悦朗さん(66)は中国人労働者のことを親から聞いていた。「集いを続けてきたことで歴史を地区で引き継いでいるんだと思う」と話す。
政治面では最近、日中両国がともにこわもてになっているのが気にかかる。今年の町内会長の平馬栄さん(66)は「こんな時だからこそ、ささやかでも慰霊を続けることに価値がある。中国の人が知れば、日本への見方が少しは変わるかもしれない。過去に起きた事実を無かったことには出来ないし、曲げてはいけない」と力を込める。

中国人の強制連行・強制労働については外務省が全国的な調査に基づいてまとめた「華人労務者就労事情調査報告書」がある。報告書によると、中国人労働者の総数は約3万9千人。帰国までに約6800人が死亡した。報告書は労働者の「供出」の中で「半強制的ニ供出セシメタルモノ」があったことに触れている。
中国人強制連行問題を長く研究してきた田中宏一橋大学名誉教授によると、東条英機内閣が1942年に労働力不足が深刻になったことから「華人労務者内地移入」を閣議決定したことが直接的な始まりだ。43〜45年にかけて、華北地方など日本の占領地から中国人を集めて連行し、日本国内の鉱山や建設現場、港湾など全国の135事業所で強制労働させた。中国の兵士や抗日ゲリラなど戦争捕虜もいたが、一般市民が多数含まれており、労働者集めには日本の政府機関や旧日本軍が指導、関与。90年代以降、中国側の証言や資料の発掘も進み、拉致同然の連行を示す証言は日中双方に多数あるという。
外務省の報告書によると、県内には、白川に加えて西伊豆町の宇久須鉱山、富士田子の浦の飛行場建設現場、静岡市の清水港湾荷役、浜松市の峰之沢鉱山の計5カ所に約1300人の中国人労働者が送り込まれ、300人近くが死亡した。田子の浦と峰之沢では毎年、慰霊祭が行われている。

朝日新聞 2015年 7月4日 朝刊 静岡面 より引用


口では反省した、と云いながら、このような歴史的事実を歪曲・隠ぺいし続ければ、他国に不信を持たれるのは当然でしょう。しかし、ある意味、国内でも派遣労働固定や残業代ゼロ、外国人実習制度などを進めているのですから、本音は一貫しているのかもしれませんね。
「意志に反して過酷な労働に従事させた」としても、強制労働では無いのですから、給与を払い、辞める権利もある、派遣労働や残業代ゼロ、外国人労働も何の問題もない、と強弁できるでしょう。

自らの労働環境や権利を護りたいなら、歴史問題を無視する事は出来ませんよ。
では。


追記

それにしても、松下村塾が明治日本の産業遺産、になり得る、というのが理解できないのですが。
松下村塾生のやったことって、「テロ活動」「力による秩序の変更」「国家転覆」「侵略行動」ですよね?なんか、安倍首相がやたら演説で批判していたことばかりじゃないですか。
どうみても、この松下村塾世界遺産群に紛れ込まされたのって、「政治的判断」ってヤツだよね。