忖度は民主主義の断末魔
森友学園の話題で持ち切りの昨今でしたが、ここで始めて忖度なる言葉を耳にした方も多かったのでは無いでしょうか?翻訳が難しい、という話もありましたが、いわば権力者に対して“阿る(おもねる)”ことであり、別に日本だけの専売というわけでもありません。
権力者が権力を濫用するようなところでは、ありふれた事だったりします。
ここが重要なところで、忖度とは権力が濫用される場で現れるものだ、という点が今回の事態のポイントであります。権力者が具体的に口にしなくても、その意を推し図り、(グレーゾーンまたは法に反する)行動を起こす。これはもう、民主主義国家ではなく専制君主制か皇帝独裁制で行われるような出来事です。
安倍政権側は何かにつけ、「森友学園に有利となるような具体的な働きかけは無かった」と強調していますが、具体的な働きかけも無い状態で、あのような恣意的な判断が為されたのだとすれば、むしろその方が問題なわけです。
国有地売却額、一転公表 「ごみ処理費8億円控除」
http://www.asahi.com/articles/ASK2B56M6K2BPTIL01B.html
例えば、第二次世界大戦中のメディアといえば、“大本営発表”と揶揄されるほどに事実を歪めて報道しましたが、検閲官等が具体的に指示するようなケースは少なかったのです。メディア側が軍部の意を汲み、つまり“忖度”して、国威発揚するような、そして厭戦気分を生まないような記事を作り上げていったのです。
もはや、安倍政権のやっていることは、そんなレベルに近いと云えるかもしれません。
また、もう一つ問題なのが、交渉過程の記録を“廃棄”した、だから問題ない、調べる事は不可能、と述べていることです。
これは、民主主義というものが、意思決定のプロセス透明化が必需である、ということを真っ向から否定するような行為であり、旧共産圏国家よりまだ悪い*1。問題の検証が行われない、する気が無いようなら、また同種の問題は起こる事でしょう。原発と同じです。この国では、問題を検証し、その構造に手を付けて再発を防ぐ、という発想がありません。
もはや、日本は民主主義国家とは呼べないのかもしれませんね*2。さすが、“スゴイ”日本。
では。