シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

安倍晋三は「自業自得」

安倍晋三の暗殺事件ですが、とても残念です。ヤツは殺されるべきではなく、キッチリと、しでかした事をゲロってからムショに入って、自身の罪を反省し償うべきでした。
当初、メディアが選挙妨害だ、民主主義の危機だ、みたいな的外れなことを云ってましたが、安倍を司法の場で裁くことが出来ず、殺されてしまったことが民主主義の危機といえるでしょう。


さて、安倍に限らず、統一協会自民党を主とする政治家の関係が炙り出されてきましたが、安倍が死ぬまで放っておかれた、ということが問題なわけです。


容疑者が母親の問題を解決するに当たって、本来であれば警察を始めとする行政が力になれたはずです。しかし、それが機能しなかった。代々の自民党政権がズブズブだったからですね。


安倍政権が問題が起こるたびに、権力を濫用して誤魔化したことは周知の事実です。
モリカケサクラアベノマスク…。


公正で正当な手続きによってものごとが解決されないとすれば、被害者が真っ当ではない手段に訴えたとして、それを一概に責められるものでしょうか。その場合、暴力的手段に訴えるな、とは、泣き寝入りしろ、ということに他ならないからです。


いじめ問題でもありますよね。言葉や扱い方など非物理的手段で散々いじめて、いじめ被害を訴えても教師も見ないふりをする。その挙句に被害者が暴力に及んだら、「どんな理由があろうと、暴力はいけない!」などとしたり顔で語る輩をどう思うか?その前にいじめ問題にキチンと目を向けるべきであった、というのが、妥当な意見でしょう。


民主主義社会においては、暴力的な手段は問題解決方法としては認められていない、それは、権力を持つ側が公正で透明な手続きで対応し、説明責任を持っているからです。それを蔑ろにするようであれば、そもそも民主主義とは云えないのです。
自民党政権専制的な振舞いは看過しつつ、容疑者の行動を非難する、それは片手落ちというものでしょう。
安倍晋三の暗殺とは、自ら破壊した民主主義、そのツケを自身の命で払うことになったということです。その意味では「自業自得」と云えるでしょう。
では。