シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自滅するネトウヨ 左翼が左翼をやめる日


自滅シリーズ第3弾!と云うわけではないのだが、考えていた事をまとめていたら、こう名付けるのが適当になってしまったのだった。


先日の統一地方選以来、とりわけ都知事選に関する評価がきびすやかましい。で、大体が「浅野史郎氏が役者不足」というあたりに落ち着いているようだ。まあ、あれほど票差が開いて共産党の票を加えても追いつかない、ということになると妥当な意見ではあるけれども*1、それらの意見を見ていくと段々げんなりしていく。

とりあえず左派の人は、現実の「世間」に対して行動するなら、自分たちがもはやほとんどの人にとっては蛆虫以下の気持ちの悪い存在、もしくはカルト宗教団体以下の危険物でしかないということを自覚して行動したほうがいいかもしれない。いやこれイヤミじゃなくて、真面目な話、そのくらいの謙虚さ(?)もしくは開き直りって必要かも。

kmizusawaの日記
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070412


いや、これって凄い話だよ。次の文と併せてみると。

「とにかく、個人人気が上がらないということを、彼自身が検証する必要あるよね。これはきちっとね。勝つためには考え直さないと。特に婦人層からの人気がないということ。婦人層の直感というのは非常に物事の本質に肉迫していくようなものだからね。一般の人たちはものすごく正確に見るんですよ、物事の本質を。インテリはダメですよ。そういうものが見えなくなってきてる。やっぱり主婦の人たちっていうのはテレビに政治家が出るでしょ?菅直人とか亀井(静香)さんとか。それを隣りのオヤジとか前の家のオヤジと比べるの」
(引用元:SIGHT vol.17 2003年秋)

一人でお茶を
http://d.hatena.ne.jp/nessko/20070403/p1


なぜなら、

 「弱い男を支配するよりは強い男に服従しようとする女のように、大衆は嘆願者よりも支配者を愛し、自由を与えられるよりも、どのような敵対者も容赦しない教義のほうに、内心でははるかに満足を感じている。大衆はどうしたらよいかしばしば途方にくれ、たやすく自分たちは見捨てられたものと感じる。大衆は間違った原理もわからないので、彼らは自分たちに対する精神的テロに厚顔無恥で、自分たちの人間的自由の悪辣な削減も理解することがない。」
我が闘争より引用)

(前略)その答えを一口で言えば、丸山がインテリの頂点だったために、亜インテリ(竹内氏は疑似インテリと表記しますが)の妬みを買ったから、となります。実は、この図式は、丸山自身が、戦時ファシズムへの流れを翼賛した蓑田胸喜の日本主義的国粋主義の成り立ちを分析して示した図式と同じです。ご存じの通り、丸山はマンハンム流の[知識人/大衆]二元図式を踏まえ、[インテリ/亜インテリ/大衆]三元図式を提案しました。 (後略)
(MIYADAIcom BLOG アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景【追加】より引用)

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335


だから。


これって、完全にファシズム状態だ、って事だ。
自分は石原慎太郎に票を入れた連中はバカだ、と率直に考えている。それを表明するのも別にためらわない。なぜなら、過去に先例のあることを直視しないなら、それはやっぱりバカだよ。オブラートに包もうが、どうしようがバカはバカだ。他に云いようが無いもの。
かつてヒトラーに熱狂し、中産階級を引きずりおろそうとしていた貧困層は、その期待を裏切られる事になる。雪崩を打って中産階級ナチスシンパになってしまったからだ。


以前、話題になっていた赤木智弘の話とも絡む。


参考:赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』(抄)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3acde4a221d5d8fb5205007d3a2df57d


皆は赤木に対して大層同情的だったが、自分は立場には同情できるものの*2、意見にはまったく共感できなかった。
どうみても、赤木の言葉はマザコンのガキが「ママがボクを助けてくれないからいけないんだ!」と喚くのに似ていたからだ。
赤木が「左翼」にどれくらい期待していたのか、期待していなかったのかは判らないが、表面上だけでも赤木の立場に同情を寄せるのは「左翼」ぐらいのものだ。保守もネオリベも赤木の存在など視野に入りやしない。
で、「お前達(左翼)がちゃんと助けてくれないなら、‘ひっぱたくぞ’」なんて叫んでるんじゃ、やれやれ、と云うほか無い。突き放しておく方が良かったのか?


「蛆虫以下の気持ちの悪い存在」、とか、「カルト宗教団体以下の危険物」、「インテリはダメですよ」まで云われて「左翼」を続ける人がどれほどいることやら。
「左翼」が「左翼」をやめたら、「赤木」が「丸山真男」を「ひっぱたく」事など出来やしない。
ファシズム化とは「社会に軍隊組織の枠組みを広げる事」でもある。つまり社会の序列固定化だ。その時に「赤木」が「元左翼」の上に立つことなどできない。一般に「左翼」層の方が恵まれた状況にあるからだ。宮台もこう述べている。

ちなみに、実際に日本全体が急速に国粋主義化し、軍部へと権力が集中するにつれて、すでに戦前の段階で蓑田胸喜は用済みになり、敗戦後は首を縊ります。「新しい歴史教科書をつくる会」の顛末も似ています。男女雇用機会均等化から援助交際化まで含めて、実社会のリベラル化が進むように見える中で勃興した「つくる会」は、小泉自民党的な右傾化の中で用済み化し、いまや会では「田吾作のつばぜり合い」があるに過ぎません。 (前掲サイトより引用)

赤木はひっぱたく前に自分がひっぱたかれる事は想像しなかったのか?銃を向ける前に撃ち殺されることも。
「赤木」は「左翼」にとっては同情対象であっても、ネオリベにとっては「道具」でしかない。
「狡兎死して走狗煮られる」
二千年以上前の言葉だが、ぴったり当てはまる事になるだろう。


「反・石原がイヤだ」という理由で石原を選ぶのも同じ。バカ扱いされたくない、というのもいい。その結果に責任が持てるのなら好きにすればいい。
「左翼」が「左翼」をやめる日、それはネトウヨや「赤木」が、自分にチャンスが無くなった事に気付く時でもある。つまりネトウヨ自滅の時である。

*1:地方自治体では珍しいことでも無いわけなので、それに無理に意味を見出すことは無い

*2:自分も30過ぎまで非常勤の仕事だった