シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

最後の 自滅する捕鯨

昨日のエントリーで、結構見抜かれた皆様が多いことにニンマリ。というわけで、“最後の”エントリーとなります。


レインボーさん。

あのね、チュコトやアリュート捕鯨は、彼らの伝統的文化、いわば彼らのアイデンティティの一部ですよ。それを奪うとすれば、彼らはまさに“死ぬ”んです。

彼等のばかり捕鯨が”アイデンティティ”と認められて日本は”死ぬ”と表現しない理由はなんですか?


前言通り、「バカか、オマエ。」


で済ましてもいいんだが、
あのね、チュコトやアリュート(アレウト)達は“狩猟採集文化”を近年まで保ってきたんです。彼らが彼らのアイデンティティたる根本に“捕鯨”が位置するんです。アリュートなど、皮張りのウミヤックやカヤックで北極の海に出て鯨を捕るという勇敢さ。その生活の中にある儀礼捕鯨が彼らの精神文化のバックボーンにあるんですよ。
現在の日本文化(と見なせる)中に、商業捕鯨が位置しますか?商業捕鯨が無くなったら日本人たる中枢が失われますかね?日本だったら「米」にあたる部分に、彼らの「鯨」は相当するんです。

それらに関心も持たないような輩が

何故に、アプリオリに「関心も持たない」と決め付けるのですか?

捕鯨に関して煮えまくってる連中のサイトを見て回ったんですよ。
例えば、こんな所知ってます?


社団法人 北海道ウタリ協会
http://www.ainu-assn.or.jp/


捕鯨に関して「日本の文化だ!」と騒ぐ連中が、アイヌに理解があるケースを見たことが無いんです。
あったら、是非教えて欲しいもんですね。

コンセンサス、がものをいう時代なんだわ。

プログ主の言うコンセンサス、とやらは
どう見ても反捕鯨派の主張こそがコンセンサスであるとしか見えませんが?


別に。公海を“オレ様論理”で扱う事は出来ない、って話なんだが。皆の同意が必要、ってのは、もはや当然の事に過ぎない。

捕鯨派の考えは将来にわたってコンセンサスにならないとお考えですか?考えないとしたらそれこそ“オレ様論理”でしかないと重いますよ。
実際に捕鯨派が半数にせまっているし。

たぶん、ならないですよ。捕鯨派、っていっても、日本が援助をちらつかせて釣った国がメンバーとして加わった結果に過ぎないですから。IWC総会の年々の経過を見れば、サンクチュアリ提案やホエールウォッチングの扱いなど、反商業捕鯨の流れは強まってますからね。

IWC科学委員会の許可を得て行っているんです。

それを無視するとしたら具体的な反証をもってきてもらわないと。

科学委員会は「勧告」を出すだけですよ。で、許可、は理事会の決議によるんです。
それはともかく、許可を得たのと異なる種の鯨を捕った事が問題になったんです。

だいたい、野生動物の調査は「非致死性」のものへ換えるために技術も日々進歩しているわけで、捕殺にこだわっているのはおかしなものだと思いますよ。

具体例をお願いします。

野生動物の調査で非致死性手段を用いるのは、一般的な事ですけど。逆に、致死性手段を用いないと判らない野生動物調査、という“具体例をお願いします”

公海はどう考えても『近隣』ではないですね。
「鎮守の杜」とやらが何十万もあったとしたら鎮守なんて成り立ちはしませんでしょ。
少なく見積もってもミンクは数十万もいるんだから。

文脈を読めない人ですね。「近隣」かどうか、は想像させるための言葉で、単純に「鎮守の杜」だけでもいいんです。樹を切り倒す事の科学的妥当性とは別のところに、それを拒絶する根拠があっていい、そういうことなんですよ。鎮守の杜は“私のものじゃない”し、近隣住民のものでもない。じゃあ、寺社だけのものかといえば、それも違う。それが、“公”のもの、の本質でしょうが。実際、鎮守の杜は日本各地に数千以上あります。でも、大した影響が無いから、と切り倒そうとすれば、オレは激怒するんです。鎮守の社の樹を切ってしまうような輩はゆるせんのですよ。

だからサンクチュアリにしたければ、自国の経済領域だけにして、そこで好きなだけホエールウォッチングすればいいの。
わざわざ公海にまで出かけて薬品を投げつけたり、
右舷に位置するからといって船をぶつけたりすれば怒りをかいますよ。

だから、「公海」は自分たちだけのものじゃないんだって。日本にだって“入会地”という概念がきちんとある。誰のものでもないが、好き勝手に振る舞っていいわけではない。そこでの振る舞いには、集落の全体の合意が必要な場所。それが“入会地”。そういう知恵こそ、日本の伝統文化なんだけどね。
それにしても、その手前勝手な考え、言葉を入れ替えるとこう出来るね。

だから捕鯨したければ、自国の経済領域だけにして、そこで好きなだけ商業捕鯨すればいいの。
わざわざ公海にまで出かけて銛を投げつけたり、
右舷に位置するからといって船をぶつけたりすれば怒りをかいますよ。

非常識な押し付け、暴力行為、デマだらけの正当化
こんなことをやらかすから反捕鯨は「コンセンサス」を失うのですよ。

というか、日本がコンセンサスを取り付けた事自体無いんだけど。

絶滅危惧種も捕ってしまう」

絶滅危惧種であるとコンセンサスがとれてる訳ではありません。

それこそ、IWCの科学委員会のレポートかプレスリリースに目を通してみたら?

私がアイヌの迫害に心を痛めていないと、ブログ主は思っているのですか?
もちろん政府の対応を私は厳しく批判したいですよ。

すれば?


ナナフシさん。

欧米に対するうっぷんを晴らすために鯨を食べる人なんて居ませんよ。
自分が反・反捕鯨なのは、欧米の一方的な都合によって自由が一つ規制されることに我慢ならないだけです。
他の人はまた自分とは違った意見を持ってるでしょう。反・反捕鯨の理由は人それぞれです。

欧米か!
自由の概念、はき違えてません?それこそ“行き過ぎた自由”!戦後の歪んだ反日教育が生んだ、キレる日本人!欧米に押しつけられた間違った価値観だ(棒読み)


誰もね、鯨を捕獲して食べたり加工して利用する事が劣ったものだ、とみなしているわけじゃ無いんですよ。そうであれば、「先住民捕鯨」が認められるわけ無いでしょうが。
もともと、大なり小なり他国(海に面した国)も鯨を利用してきたんです。それが、人口が増え、技術が進み、商業ベースで行うには絶滅のリスクが大きすぎる、と判断した事から、今の状況になったんです。いきなり商業捕鯨禁止になったわけでもなければ、他国が最初から捕鯨禁止の意志を示したわけでもない。その流れの中で抵抗し続けるのは、流れに棹さすようなもんです。
もともと、クジラは日本の食文化を担っていないし、担った地域は南氷洋での商業捕鯨が必要ではない。
だから、現在の潮流にあった解決法を選択しろ、ってのは、それほど我慢ならないことですかねぇ。
ま、頑張って煮えていたいなら、「お好きに」、としか云いようが無いですけど。


そうそう、煮えてるお友達にはこんな方々もいます。


・「海賊船の船長」捕鯨反日団体(隼速報)
http://falcons.blog95.fc2.com/blog-entry-70.html


・日本船を襲った「テロリスト」一考 (博士の独り言)
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-1304.html


たしかに人それぞれですなぁ。


まさか、5回にわたってクジラ話するとは思ってませんでした。タイトルを〜にしよう、と思ったのは3回目以降でしたが、当然、対立の不毛さを描く点で元ネタはピッタリだと考えたのも一因です。一つ一つに触れませんでしたが、頼りないブログ主のフォローのコメントをしてくださった皆様、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
では最後に小咄を。


「まったくクジラの話となると、愛国的な輩が沸いて出てくるのは、いったいどういうわけでェ。」
「なに、当然よ。クジラが絡めば愛国者どもが煮えてるのも仕方が無いとも。」
「なんでぇ、ワケがあるなら教えてくれよ。」
「そりゃ、おめェ。愛国者が煮えるだけに、『大和煮』ってことよ。」
「……。」


おあとがよろしいようで…。