シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

最凶テンプレ、ハナさん。

【政論探求】「反」『靖国』勢力が叫ぶいかがわしさ
また、なんともやりきれない事件が起きた。在留中国人の映画監督による映画撮影許可詐称事件だ。


 関係当局は映画を徹底的に調べ、糾弾すべきは糾弾してほしい。当然ながら、この映画監督らは厳罰に処せられるだろう。靖国刀の刀匠家族と、靖国神社に一生背負わなくてはならないキズを負わせたのだから、これは償いようがない。


 以上のことを踏まえたうえで、あえて書かなくてはならない。平成18年の靖国神社参拝事件の再来として、現地では受け取られている。それは感情論としては分かるのだが、「反共」「反リベラル」勢力が気勢をあげているのは、なんともいかがわしさがにおう。


 この事件を政治闘争の具にするというのでは、被撮影者への思いやりを欠くというものだ。こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい。


 「反日映画に助成金は問題」と声高に叫ぶのは言論の自由なのだろうが、そこには責任も伴わなくてはいけない。日本の文化振興は「映画産業の復興」が基本であることはいうまでもない。助成制度への介入を主張するのなら、独自助成審査論が付随しないと日本をめぐる文化振興環境は激変してしまう。


 パワーバランスの空白を招いたら、東アジアの映画産業情勢は一気に緊迫する。ほくそ笑むのは韓国映画界か。そこを抜きにして、厳粛かつ現実的な文化政策は語れない。


 そういってはなんだが、これでまた、準児童ポルノの規制問題で、麻生太郎たちが日和見を決め込む理由ができた。二次元との共存共栄以外に日本がたどるべき道はない。そのことを百も承知していながら、彼らはからだを張ってこなかった。


日本ユニセフ協会と連携したECPAT児童ポルノの規制、二次元への規制拡大を打ち出してから、もう 年が過ぎた。実写の単純所持規制で合意が交わされているが、調整は一向に進まない。


 それにしても、一部メディアのヒステリックな伝え方はいったいどう理解したらいいのか。事件は事件、映画は映画、と冷静に切り離し、映画産業の死活的な重要さに思いをはせてこそジャーナリズムだ。


 「ドキュメンタリーはウソをつかない」と信じて疑わない体質と共通する情緒的反応の弊害を、そこに指摘しないわけにはいかない。


 「知らない人に撮影許可を出してはダメ」。筆者などの世代は子どものころ、親から口うるさく言われたものだ。


 電波さんが集結する靖国神社である。「刀造りの伝統を撮影したいだけ」と監督から声をかけられ、口車に乗ってしまう無防備さ。この基本的な「しつけ」が徹底していなかったことは無念、という以外にない。(客員編集委員 ハナさん)