シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

トンデモというか


茂木健一郎はすでにトンデモ科学者化している!
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20080206/1202296932

ちなみに乙木が茂木健一郎がトンデモであることを確信したのは、新著「思考の補助線」のこの言葉

クオリアの問題に目覚めた日は、私の人生における最大の祝福として今での脳裏に鮮明である。研究所からの帰り、夜。私は電車に乗っていた。無意識のうちにガタンゴトンという音を聴いていた。突然、その音が、周波数で解明しても、スペクトラムを眺めても決して解明しきれぬ生々しい「質感」として私の意識に到達していることに気がついた。私は感動と畏怖で青ざめた。車輌と車輌の連結部分の空気が一変した。その瞬間、私は、芸術を愛する経験的自然科学者から、現象学的経験をも視野に含めた「自然哲学者」へと変貌したのである。

奇跡キターー

茂木健一郎がトンデモに目覚めた瞬間である。以下、茂木健一郎

「科学では心の安寧は得られない」とか

「心理の女神のガウンの裾を掴んだ」とか

の宗教的な告白が続いたりする。

いや、これくらいじゃ、トンデモ、とは呼べないでしょ。
トンデモ、という用法も語源を離れた気もするけど、
“どうみても科学のカテゴリーにおけない事象を、無理矢理に科学的裏付けがありように見せ掛ける(で、権威付けする)”
のをトンデモ、というんじゃないかな。
茂木氏の告白はインスピレーションを得た時の心情描写としては、むしろありふれたものだし、この部分を指してトンデモと表現するのはどうかと思うぞ。
まぁ、茂木氏(やその著作)が気にくわない、というなら、それは仕方ないし、茂木氏がトンデモ箱入りしていないとは、私には判断つかない。
だが、紹介された部分だけでそう判断したなら、それは間違いだろうよ。

科学者といえど、神を信じることも、信仰を持つことも、ごく当たり前の姿だ。
ただ、神の証明に科学を持ち出したり、逆に科学の範疇に神を持ち出さないだけの事。
その分を越えなければ、特にクレームをつける必要は無いんじゃない?