シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

ノーカントリーが想像以上に凄い件について(結末書いてます)

タイトルはホッテントリーメーカーを利用。実際は大したレビュー書いてるわけじゃないんで、期待した人にはあらかじめ謝罪を。


ホッテントリーメーカー
http://pha22.net/hotentry/


ホッテントリメーカー」を作った
http://d.hatena.ne.jp/pha/20080519/1211198647


1980年、メキシコ国境にほど近いテキサスの沙漠。猟をしていたモスは、取引を巡って抗争となり全滅した麻薬組織の大金を手に入れる。その金を取り返そうとする組織は、殺し屋シガーに追跡を依頼するが、シガーは犯罪組織の枠さえも越えた存在だった。


原題は"no country for old men"。ストーリー的には、トミー・リー・ジョーンズ演ずるところの老保安官を指す訳だけど、言葉の意味するところは徐々に見えてくる。
それにしても、しょっぱなからハビエル・バルデムの不気味さに呑まれっぱなし。バナナマン日村をごつくして、死んだ魚のような目に濁らせてやったような風貌のシガーは、殺す事にまったくためらいを持たない。


聞いたら一生耳に張り付くような音を出す屠畜用空気銃から撃ち出されるボルト。他人の頭に発射口をあてがう時も、殺意の欠片さえ見せない。「ちょっと動かないで」と検査でもするような気軽さ。行き会う人々を次々と始末し、車を乗り換えるシガーの恐ろしさはちょっとあり得ないレベルだ。
もちろん、モデルかな、というような“殺し屋”はいるわけで、登場したてのターミネーターとか、T2のT-1000あたりの“殺意の欠片もない殺戮マシーン”あたりは参考になってる気がする。途中、負った傷をホテルにこもって自分で治療するあたりなんて、ターミネーターへのオマージュじゃないかな。命を弄ぶような姿はハンニバル・レクターにも通じる。いろいろな殺し屋のエッセンス。


そんな恐怖の殺し屋に狙われるモスは災難なわけで、金をがめたゆえ、とはいえ、追いかけ回されて結局殺されるのは哀れ。最初に抗争現場を見つける時、現場を逃げ出した犬の血の痕を辿ることで見つけて、金を持ち逃げしたヤツの居所を推理して探し当てる。男は結局死んでいたわけだが、この経緯はそのままモス自身にも当てはまるわけだ。何度と無く知恵と勘を働かせることでシガーの襲撃をかわすが、見ている方はハラハラしどおし。なのに最後は経緯すら判らないうちに死んでる。天然災害のようなシガーと対比してあっけないほどの人間の死。保安官は事態を最初からうすうす把握していながら、常に後手後手に廻り、まったく関与することが出来ない。その無力さが彼を保安官からの引退を決意させる。


興味深かったのが、ラスト近く。引退を決意した保安官は、時代が変わり暴力があっけなく人の命を奪う“年寄りには向かない国”になった事を嘆く。かつては銃さえ携帯しない時代があったのに、と。
しかし、彼を迎えた車椅子の男、昔銃の暴発事件で怪我をおったらしい保安官補であった叔父、は保安官の祖父も襲撃によって命を失ったのだ、と語る。何も時代が変わったわけじゃないのだ、と。そう考えると、舞台がテキサス、それもメキシコ国境近くに留まり続けていた事にも納得がいく。映画途中の不満は、モスが女房とさっさと州外へ高飛びしないことだった。そして、舞台が80年代、であることにも違和感があった。今の我々も“昔はよかった”と省みる。しかし、その時の昔はせいぜいが80年代。その80年代に昔はよかった、とはどういうこと?なんのことはない、いつだって“昔はよかった”のである。


保安官らは言外に、「メキシコ人達が時代を変えた、麻薬を持ち込み暴力を蔓延らせた」と嘆く。しかし、テキサスこそ、アメリカが“暴力によって不当に”メキシコから奪った土地なのだ*1。テキサス=アメリカ、は今、その復讐を受けているのである。


原題の"no country for old men"は過去に対する憧憬ではない。建国以来暴力に物言わせてきたアメリカ、を指すのである。

*1:正確に言えば、メキシコからの独立。その後、アメリカに併合