シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

せと弘幸氏の「紳士協定」

さて、その食育冊子繋がりで取り上げる新風・せと弘幸氏。
ひどいネタを書いてます。


土井たか子・朝鮮帰化人説の行方 本気で怒っていないよね…?(日本よ何処へ)
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51434834.html

確かに土井たか子氏の弁護士は一番最初に戸籍を示して「WiLL」の出版社に対して抗議を申し込んでいます。しかし、それは第一段階であって、現在の争点は全く違うと伺っています。

 つまり、土井たか子さんは古くからの日本人家系の方なのか?

 それとも在日朝鮮人の系譜から帰化された方なのか?

 この争いであるとは聞いていません。

 今争われているのは記事を書くにあたって、記者がインターネットなどに広く流布されている土井たか子は朝鮮名「『李高順』を持つ半島出身者などということを、本人に取材することなく、雑誌に掲載したという、その言ってみれば手法に対して文句を言っているに過ぎません。

 だいたいが損害金が一万円ということからして、これほどこバカにした裁判はあるまい。日本人なのに朝鮮人と報道されたことが、たったの一万円の損害というのだからあきれます。

 普通の感覚なら百万円は最低でも要求しておかしくないケースです。仮にも衆院議長まで経験した人物です。その人が一万円というのはどうしても解せない話です。

 どうせなら、裁判では本当に土井たか子という人物は朝鮮DNAと関係ない人物なのか?そのことについて、ハッキリとこの際だからして欲しいものです。


「(日本人なのに朝鮮人と報道されたことは)普通の感覚なら百万円は最低でも要求しておかしくないケースです。」って、そういう視点自体、朝鮮人差別であるって事に無神経なのは凄い。土井氏は「虚偽の」記事掲載、それも取材無し、に対して謝罪を求めるのが主目的だから、虚偽の訂正と謝罪文掲載を求めているわけで、1万円の損害金というのは、その事を端的に示している。


こんなレイシズムダダ漏れでどうするんだ?コイツ。おそらく「紳士協定」も知らないんだろうな。


紳士協定(あらすじ)

アカデミー賞作品 / 監督 / 助演女優(新聞社ファッション係役のセレスト・ホルム)賞を受賞したエリア・カザン監督の意欲的社会派映画。人気ライターのフィル(グレゴリー・ペック)は、反ユダヤ主義についての記事を書くことになり、自分がユダヤ人になりすまして調査を進めることに。すると、途端に周囲の者がよそよそしくなり、ついには記事の発案者である恋人キャシー(ドロシー・マクガイア)婚約者にまで拒絶されてしまう…。

http://www.amazon.co.jp/%E7%B4%B3%E5%A3%AB%E5%8D%94%E5%AE%9A-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%B3/dp/B0006TPESS


この映画で重要なところは、ユダヤ人に対する密やかな差別、だけではない。当の本人の「オレは本当はユダヤ人なんかじゃない」という本音にもある。つまり、ユダヤ人としての差別を受けた中、正体を明かすのは、差別に荷担するのと同じ、という部分にも主人公は悩む。


どういう事かわからない?つまりこういう事だ。もし、「日本人離れした顔立ちだね。タイ人と間違えたよ」と言われたらどんな気分になる?大概は「自分はタイ人なんかじゃないよ。」と思うし、口にするんじゃないだろうか。
逆に、「日本人離れした顔立ちだね。フランス人と間違えたよ」と言われたら、「タイ人」の時と比べて否定的な気分にはならないんじゃないだろうか。
おそらくは、白人種系に間違えられれば嬉しくて、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ系に間違えられれば嫌な気分になる、そうじゃない?
まさにそれこそが「顕在化しない」露骨じゃない差別心であって、「紳士協定=差別問題に対する無関心の装い」の基なんだ。で、「紳士協定」の内側を覗き込んでしまった主人公は、自分自身の本音と向き合って、自分はユダヤ人じゃない、実は違うんだ、と主張すること自体が差別の一種である事に思い至る。


そうして考えれば、「朝鮮人と間違えられた」という事を誹謗中傷、と捉える事は、少なくとも差別問題に取り組む人にとっては出来ないと理解できるはずだ。せと達はそうした事に無関心だ。だから、こんなアホな主張をまだまだ繰り返すことになるのである。

紳士協定 [DVD] FRT-071

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