シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

買い占めに走ろうかな

こんにゃくゼリーマンナンライフが製造中止(毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000012-mai-soci

今回の事故を受け農林水産省は、子供や高齢者が食べないよう警告する外袋のマークの拡大やミニカップ容器にも警告を表示するなどの再発防止策を要請。業界団体は取り組みを表明していたが、マ社は「時間的、物理的に対応が困難で流通に混乱を招く恐れがある」と判断したという。既に流通している商品は「商品が危険だから製造中止にするわけではない」として自主回収せず、テレビCMなどで子供や高齢者は絶対に食べないよう注意を呼びかける予定だ。


高齢者や子供が食べないように、
・袋を開けにくくする
・でかくして、食いちぎらないと食べられないサイズにする
・もっと小さくして、グミキャンディー程度にする
とかするのはどうか。


しかしなぁ、やっぱどう見ても納得いかないよ。
前のエントリでも述べたけど、自動車事故による社会的損失てのはかなりな規模に及ぶ。
だいたい、第一次交通戦争と呼ばれた時代なんて、年間の事故死者が一万人超えているのである。
車の数だって現在ほどじゃなかったのにもかかわらず、だ。


参考:交通戦争(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%88%A6%E4%BA%89


しかも、現在の中国大都市じゃないが、自動車による大気汚染は凄まじいレベルだった。当時、ハイオクは有鉛ガソリンだったからね。
事故死者は出す、光化学スモッグの元は出す、鉛はばらまく、えれぇこったよ。
その後、地道に、地道すぎるぐらいの取り組みで、少なくとも排ガスはキレイになった。
しかし、死者の方は相変わらず6000人弱。
もちろん、功だってあるよ、の意見もあるだろうけど、事故被害者の一身にそのツケを回している、って事は意識するべきじゃないか?
同じ基準を当て嵌めるなら、自動車はとうに販売・製造禁止になっていていいはずだ。


いや、もちろん判るよ。自動車振興は日本の戦後産業の国策だった。道路も車も、そして郊外型一戸建ても、どれをとっても日本産業の発展の原動力だったからね。だから、夥しい犠牲者が出ても、対策を取る、ことで免罪された。
結局、「たかが蒟蒻ゼリーだから」なんだろうな。
でも、オレはそんな考え方には納得いかないね。

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

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