自滅する地方 ちょっと回答編
前々回のエントリーにだいぶ意見が寄せられたので、少し応えていきます。
えー、まず、私のエントリーはこれ単体ではありません。「自滅する地方」シリーズとしてタグを付けてありますので、ちょっと覗いてみてください。
私を都会者の発想、と云った人がいましたが、私の住んでいるのは沼津より田舎の中部地方ですから。
自滅する地方、とシリーズタイトルを付けた理由ですが、自治体が中心市街地活性化策と郊外化を同時に推し進めている事からそう名付けました。
もともと、中心市街地が空洞化するのは郊外化を進めたからです。道路新設・延伸・拡幅、そして区画整理事業を行なえば、自動車利用が便利で地価も安い郊外へ人が移動するのは当然です。当然起こり得る現象に対して、中心市街地活性化を行なっても効果があるわけがありません。また、この中心市街地活性化策の多くが、中心市街の道路新設・延伸・拡幅と区画整理事業、そして大規模複合施設建設、です。そのどれもが、自動車利用に対応したものなので、同じ土俵で勝負して郊外に立ちうち出来るはずがない、という現実を無視しているわけです。
私の知る限り、こうした政策は日本の大部分で行われており、そして効果を挙げたものはありません。なのに、現在でも公費がつぎ込まれている、これはどういうことなのか?
おそらく地方自治体関係者が、問題点がどこにあるのか理解していないか、もしくは、認識していたとしても過去の計画を見直す事が出来ないか、のいずれかでしょう。問題を理解しない、変えられない巨大な実例は、昨今、騒ぎを起こしているわけですが。
(新国立競技場に関する記事)
http://b.hatena.ne.jp/keyword/%E6%96%B0%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4
道路を増やすと大規模店舗が進出して、従来の小規模店舗や中心市街地の衰退を生む、というのは世界的な傾向です。特に、日本に先行する形でモータリゼーションが進んだアメリカでは、その傾向がはっきりと見てとれます*1。実は、私のところに載せているものは、処方箋も含めて、アメリカやヨーロッパでのモータリゼーションについての知見を基に書いています。
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さて、エントリーに寄せられた意見の中で目立ったのが、交通をワザと不便にするのか、というものでした。しかし、ここにはある暗黙の合意が含められていますよね。つまり、ここでの交通は自動車利用が前提だ、ということです。私は、自動車交通に対して異を唱えているのです。交通の改善とは道路建設と等号で結ばれるものではない、ということですね。自動車交通が便利になる、ということは、すなわち公共交通機関を衰退に追い込みます。むしろ、公共交通機関と徒歩・自転車で用が足りる街を目指すべきだ、と考えているのです。
自治体関係者はよく「自動車と歩行者(自転車)の共存」というような聞こえの良い言葉をいいます。しかし、自動車と公共交通機関・徒歩・自転車は共存する事は出来ません。
自動車交通は歩行者や自転車を片隅に追いやります。そして、公共交通機関から客を奪うのです。自動車交通が便利、つまり道路建設を行なえば、公共交通機関からの乗り換えによりさらに自動車利用者を増やします。これを誘発交通と云います。
つまり、自動車が増える→渋滞が増える→道路建設・拡幅・延伸を行なう→さらに自動車が増える、の循環が続いてきたわけです。
それに対応する現象として、道路建設・拡幅・延伸を行なう→公共交通機関から自動車に乗り換える人が増える→公共交通機関の利益が減り、本数と路線が削減される→公共交通機関が不便になり、さらに自動車に乗り換える→、が起こります。
自動車産業の隆盛と軌を一つにする形で日本の道路・都市政策は進められてきました。日本の自動車産業への手厚い支援と云えるでしょう。それを当然のものとして受け入れる人にとっては、自動車が便利になることは素晴らしく思えます。
ですが、自動車交通に対応出来ない人々はどうなるのか?例えば、かつては子どもたちがそれに相当しました。私の住む地域では、朝夕の駅には多数の車が子どもたちのお出迎えをします。これは駅だけでなく、直接、保育施設や学校であるとか、学習塾のような習い事でもそうです。近隣から苦情が出る事もあるそうですが、公共交通機関に頼れない、というより利用する発想の無い地方では、それが当たり前の風景になっているのです。さらに、通学時間に父兄*2や高齢者ボランティアなどが児童の交通指導をする風景を見かけます。非常な手間が掛かるのですが、子どもたちを交通事故から守るために毎日行なっています。
何年か前のエントリーで、高齢化と少子化が進んだ場合、自動車交通に頼る事が出来なくなるのではないか、と書きましたが、子どもたちだけでなく、かつて自身がハンドルを握った高齢者も自家用車利用を諦めざるをえない状況になって、交通難民状態になっています。
一番ゾッとしない想像が、“子どもを送迎する保護者の車が子どもをはねる”“高齢者が運転する車が高齢者をはねる”というものです。交通困難状況に適応した結果として、こういう可能性もあるわけです。
買い物では大型ショッピングモールによる自主バスなどもあって、“買物客囲い込み”を見かけたりしますが、その他になるとどうしようも無くなります。
しかも、その大型店舗が撤退するような状況になればどうなるのか?
ヤマダ、さらに11店閉鎖 郊外型を6月末に一斉
家電量販店最大手のヤマダ電機が関東を中心に全国で11店舗を6月末に一斉閉鎖する。5月末に一時閉店を含め約50店の閉鎖に踏み切ったばかりだが、低下した収益力の抜本的なてこ入れのため、店舗の整理を続ける。従来は大量出店をしながら店舗閉鎖は月1〜2店にとどまっていた。規模の追求から効率重視へと経営方針の転換が一段と鮮明になってきた。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ23HT4_T20C15A6TI5000/
もちろん、こうした地域とするのを是とするなら、それもありでしょう。自動車交通をメインとする場合、地域集約は不可能ですから街というものは事実上消滅し、ただだらだらと続く“郊外”の連なりになるでしょう。その場合、矛盾する中心市街地活性化は諦めるべきですし、増大するインフラコストを担うべく自治体の支出増は避けられません。
私はそうではなく、自動車を抑制・削減する施策により、公共交通と徒歩・自転車で用が足りる集約された街とする方が良いのではないか、と考えているのです。
例として、アメリカのポートランド、ドイツのフライブルグ、ブラジルのクリチバ、そういう流れに向けようとしている例としては、アメリカのニューヨーク、イギリスのロンドン、フランスのリヨンなどがあります。
誤解されている方もいるようですが、公共交通と徒歩・自転車で足りる街は決して不便な街というわけではありません。むしろ、東京などのように集約されて自動車がさほど便利で無い都市の方が人口集中を生んでいるわけですから。まあ、東京でもまだ道路を増やすようなバカな政策を取ってはいますけどね*3。
公共交通機関と自転車だって、テクノロジー発展と無縁ではありません。例えば、台湾の高雄*4では、現在無高架式のLRTの建設に乗り出しています。
世界初! 台湾・高雄で“全線架線レス”の路面電車を建設中<訂正あり>
台湾・高雄で建設中のLRT(次世代型路面電車)は、全線にわたって架線がないのが特徴だ。また、軌道敷の80%には緑化が施され、駅舎も緑に覆われたデザインを採用するなど、景観や環境に配慮した設計になっている。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/it/column/20150521/700809/
LRTの建設・維持コストでは架線はバカになりませんから、充電式のLRTは都市交通の解となり得るでしょう。これに、自動運転を盛り込めれば*5さらに低コスト化が図れるでしょう。
ただし、日本でもLRTの導入を進めようという自治体がありますが、“自動車の抑制”が最も重要な要素であって、“自動車交通との共存”しようとすれば、間違いなく大失敗します。公共交通機関への自動車からの乗換えがコンパクトな街を支えるのです。
また、自転車の世界でもヤマハ発動機が先鞭を付けた「電動アシスト自転車」は各国のベンチャーがこぞって研究開発に乗り出しています。パーソナルユースのモビリティとしては、いわゆる「超小型EV」*6よりも適していると考えているからでしょう。
最高速度48キロってもはやバイク!? でも値段は世界最安レベルの「電動自転車」
http://nge.jp/2015/04/24/post-102548
機能も値段もドを越えた電動アシスト自転車「Trefecta DRT」
http://nge.jp/2015/03/28/post-100216
電動アシスト自転車なのに充電いらずなスマートモービル「CATTIVA」
http://nge.jp/2015/02/17/post-96027
時速25km出せる!「チェーンレス」の充電式電気自転車
http://nge.jp/2015/05/24/post-105260
電動アシスト3輪車「GinzVelo」は次世代型モビリティの形?
http://nge.jp/2015/07/02/post-108988
速さと長距離移動を追求した「スーパーバッテリー」電動アシスト自転車
http://nge.jp/2015/05/20/post-104726
ちょっと社会実験の話です。
京都市の四条通で歩道を拡張し、車道を狭める実験が行われました。
マイカーよりもウオーカー 京都中心部で車道を半減
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO86089460U5A420C1000000/
渋滞を生んだとして不評の声も上がっていますが、私はこの実験に強い関心を抱いています。四条通りで問題なのは車の抑制にはなっているが、バスも渋滞に嵌まっていることです。したがって、バス専用レーンを併設(もちろん、車道を削減して)することで、自動車交通を削減し、公共交通機関への誘導を行なう事が出来るでしょう*7。
京都は、人が徒歩やせいぜい牛馬・船しか移動手段が無かった時代に造られているためにコンパクトに纏まった優れた都市です。駅近くにはレンタサイクルも数多くあり、人気を集めています。各観光地でレンタサイクルが人気なのは、ポイントで廻るような地域では無く、通る道すがらが楽しく魅力的な地域です。その点を理解しない観光レンタサイクルはあまり人気が無い。
同様に、奈良や大阪、神戸、広島、福岡、長崎、松山、高松なども自動車交通がさほど便利ではない。そして、個性と魅力のある街です。ここから見ても、自動車を排除した街の方が暮らしやすいと思うのですが、いかがでしょうか?
同規模の地方自治体の比較であれば、静岡と浜松を挙げる事が出来るでしょう。
自滅する地方 浜松と静岡
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20130217/1361107055
静岡も浜松の50周遅れで自滅に突っ走っているとはいえ、郊外拡張が進まなかったことが、二つの自治体の差を生んでいます。
ですから、こう提唱いたします。
「クルマが無いと暮らせない、から、クルマが無いので暮らしやすい、へ」
地方自治体はクルマを排除したまちづくりを進めるべきだと思いますよ。
では。
追記: この原稿を書き上げてすぐに、こんな記事が出ていました。
まちづくりでも温暖化対策 桜井林太郎
瀬戸内海に面した愛媛県の松山市と海がない栃木県の宇都宮市。あまり関係がなさそうな2市だが、思いのほか共通点がある。県都ということだけではない。人口は松山の51万5千人に対し、宇都宮は51万9千人。面積は429平方キロと417平方キロ。都市の規模がそっくりなのだ。でも、都市の「構造」に大きな違いがあると、今年版の環境白書が指摘している。市街地が低密度に拡散する宇都宮に対し、松山では集中した「コンパクトシティー」だという
このため、宇都宮では移動の手段は自動車への依存がより高く、1人当たりの車による二酸化炭素排出量が松山の1.7倍。1人当たりの道路などの維持補修費も1.7倍かかる。高齢者が外出する頻度も少ない。郊外型店舗が多く、売り場面積当たり売上効果も低いという。つまり、都市の拡散化は、環境、健康、経済・財政にも悪影響だというわけだ。
「まちづくり松山」会長の日野二郎さん(60)によると、松山の町並みは、江戸時代にできた城下町が今も骨格。戦中の空襲で多くが焼失したが、戦後の土地区画整理では従来を基本とし、道幅をあまり広げず、その後、郊外型大型店を積極的に誘致しなかった。その結果、路面電車が今も残り、L字型の商店街が1キロも続く。
「少し窮屈かもしれませんが、まちが分断されず、コミュニティーが維持された。多くの人たちが長い間努力を続けた結果です」
折しも、2030年の日本の温室効果ガス削減目標が決まった。原発の扱いばかりが注目され、温暖化防止に役立つまちづくりはほとんど話題に上らなかった。省エネ対策も、自動車の燃費効率改善やLEDなど高効率照明の導入促進など、個々の機器の性能アップによるものが中心だ。
これらの対策はぜひ実現してほしい。でも、数字合わせだけなら、あまり意味はないと思う。2050年、さらには2100年といった長期的視点で、私たち一人一人が暮らす地域のまちづくりも、もっと話し合ってほしい。
(朝日新聞2015年7月27日 夕刊)
(出典元)
平成27年版 環境・循環型社会・生物多様性白書(PDF版)
第1章 環境・経済・社会の現状と、持続可能な地域づくりに向けて
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h27/pdf/1_1.pdf
みなさんも、少し自分の住む地域に関して考えてみてください。