シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

La Vie en rose (前編)

彼女とは同じ職場に勤めていた。まだ、自分が非正規・非常勤の職であった頃の事だ。
ちょっと歳は離れていたが、年下の彼女の方が(職場では)先輩なせいか、なぜかタメ口でそこそこ仲がよかった。とはいっても、小さな職場ではあるし派手な動きをするでもなく、時々仲間と食事に出かけたりする程度のものだった。


当時自分は大きな悩みを抱えていた。一つは、相変わらず非正規職で生活が保障されない状況であった事。
勤めていた先も契約の更新があるのか無いのか判らない状況で、もし契約更新がされないのであれば新たに職を探さなければならない。それは全国どこへ飛ぶか判らない状況でもある。


もう一つは、職にも関わる出来事でもあったが、祖母が認知症になった事。
祖母は交友範囲の狭い人で、家にいる事が多かったから気付きにくかった。家族が気付いた時は既にかなり酷い状況になっていた。日常のあらゆる事に手が掛かるようになり、とりわけ下の世話が問題だった。そもそもトイレを満足に利用する事が出来ない。あっという間に家のあちこちが汚物だらけになり、その片づけだけでも大変だった。粗相に耐えかねて介護用おむつを履かせたが、そんな状態でもおむつがイヤだというのがあったのか、おむつを脱いであちこちに粗相をする、という事態になった。しかたなく、兆候が見られるとトイレに連れて行き、用を足させるようにするのだが、これに抵抗する。ようやくさせても、それを幼児のように覚えるわけではない。ただひたすら坂道を転げ落ちるように症状は悪化するばかりだ。目を離せばそこらに粗相するため、大変だったのが夜だった。なぜか深夜に起きてはおむつを脱いで粗相をするのだ。深夜の闘いが始まった。


祖母が起きて部屋を抜け出そうとすると、それを察知してはトイレで用を足させる。そのうちに、祖母は足音やドアの開け閉めを忍ばせる事を覚えた。なぜかそういう事だけは学習するのだ。寝ている時でも忍ばせた物音に耳をそばだてていなければならない。自然、どんどん眠りは浅くなる。


日中の介護は母親の仕事だったが、そのうちに祖母の体に傷が目立つようになる。母親が介護にいらだって叩いたりするようになったのだ。祖母に対して「全然覚えないから躾けが必要だ」と泣きそうな顔で暴力を振るおうとする母親を止めながら、母も追いつめられているんだな、と感じる。自分自身もいらだちを覚えつつも母をなだめ、祖母を介護しなくてはならない。祖母は母親を避けるようになり、一層自分に介護の負担が増えるようになった。


介護施設に入れる事を考えても施設にはなかなか空きがない。一応足腰がしっかりしているから(それがむしろ悩みの元なのだが)、介護認定の基準では優先順位が低かった。ひたすら空きが出るのを待つだけだ。そして、空きが出る、という事は他人様の死を願う、という事でもある。自分のエゴを呪いつつも、そこにしか救いが無い事も事実だった。


日中はいつ馘首を宣告されるか判らない職場で働き、夜は好転する見込みの無い介護。自分はどんどん追いつめられていく。
そんな状態の自分の支えが彼女だった。
彼女も当時何かに悩んでいた。「恋愛の悩みか?」と訊いたら、「違う」と答えた。仕事の悩みであるなら、と相談に乗り、自分自身の悩みも打ち明けるようになった。彼女と話をする時間はどんどん増えていった。


介護を続けていると、ふと祖母にある感情を向けている事に気付く。もやもやとしているそれが、自分の中でハッキリと言語化された時、その考えに愕然とする。そして、そんな事を考えてしまう自分に恐怖した。将来への不安、介護の疲れ、祖母への思い、自己嫌悪。自分の中だけで抱えていく事がどんどんつらくなって、「聞いて欲しい事がある」と言って彼女を呼び出した。そして、自分の抱えていたものを打ち明けてしまった。祖母へ向けた感情、そんな考えを持つ自分は人でなしなのだろうか、と訥々と喋り続けた。
最初はビックリしていた彼女は、肯定するでもなく否定するでもなく、ただ話を聞いてくれたのだった。


自分は彼女をハッキリ意識するようになり、それから彼女としばしば出かけるようになる。
それでも自分が彼女に求愛するにはためらいがあった。
それこそ彼女に打ち明けた悩み、祖母の介護と仕事の契約の問題だ。彼女がたとえ求愛に応えてくれたとして、祖母の介護をどうする?ずっと続けたままいくのか。そして、もし職を失ったらどうなるのだろう、職が見つかったとしてそれが離れたところであったとしたらどうするのか。最悪なのは、職を打ち切られた状態で、祖母の受け入れ先が見つからない事であり、そしてそれは決して低い可能性ではなかった。


せめてどちらか一方でも片が付いたら、目途が立ったら、彼女に自分の思いを打ち明けよう、と考えて日々を過ごす。それが支えになっていたと言ってもいい。


それからほどなく、祖母の受け入れ先が決まりそうだ、という話になった。本決まりでは無いが見込みはあるという事だった。
ようやく、彼女に思いを伝えよう、そう考えて職場へ行った日。彼女は職場に出てこなかった。
前日、自分は出張だったので話はしていなかったのだが、メールには(彼女とは毎晩メールしていた)何も書いて無かったので、「風邪でもひいたかな」と思って、「あとで見舞いのメールでもうっとくか」と考えた時、職場の同僚から驚天動地の話が飛び出たのだった。


つづく。