シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

La Vie en rose (中編)

このエントリーは La Vie en rose (前編) の続きです。


彼女が出勤してこない事が気に掛かる自分に、同僚が話しかけてきた。



「あ、昨日居なかったから知らないんだっけね。○○さん、今日結婚するって。」

……
……… けっこん? けっこんって何だ? 血痕… 結婚!?


人はあんまり驚くとリアクションが薄くなるらしい。というか、事態がさっぱり飲み込めなかった。


「え、どういう事?」
「うーん、何かオレらも昨日はじめて知ったんだけど、みんなには黙っていたみたい。それにしても、前日にいきなりだろ、ビックリしたよ。」

当日に聞かされている自分はさらにビックリで頭の中は真っ白だ。

「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
『俺は、結婚しよう、と思ったら、いつの間にか結婚されていた』。
な…何を言っているのかわからねーと思うが、
俺も何をされたのかわからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…二股だとか超スピード婚だとか、
そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
もっと間の抜けたものの片鱗を味わったぜ…」

「『結婚する』…そんな言葉は使う必要がねーんだ。なぜならオレやオレたちの仲間は、その言葉を頭の中に思い浮かべた時には!実際に相手とやっちまってもうすでに終わってるからだ!だから使った事がねェーッ!『結婚した』なら使ってもいいッ!」


えー、確かに彼女と付き合っていたわけじゃないからな、しょうがないのか…。
でも、彼女、昨夜のメールではそんな事一言も書いてなかったな。なぜだろう?
そういえば、彼女この間「付き合っている人いるの?」と訊いたら、「いない」って答えたぞ、どういうことなんだ。バカにされたのか?オレ。


勢い込んで告白しようとしたところで本人と話さないまま失恋決定。なにこの展開。こんなアホらしい話、大映ドラマでもありえない。
大混乱状態でへこみまくる。彼女はしばらく休みを取る、との事で話も出来ない。数日間、荒れに荒れた。食欲もがた減り。それから一週間、胃が食べ物を受け付けなくなって水もろくに飲めなくなる。体重はあっという間に10kgほど落ちるが、当たり前だね。1週間何も食べなければ。空腹は感じなかった。心が体を凌駕する、というのは本当なのだ。


数日して彼女が職場に出てくる。朝、バッタリ顔を合わせても、とっさに言葉が出てこない。彼女は
「おはよう」
と普段通り挨拶をしてくる。全然いつもと変わらない様子に、「結婚したって話はガセじゃないの?」と考えてしまう。しかし、普段通りの彼女の左手薬指には指輪が光っていた。


すっかり上の空状態になったが、それでも普段のように彼女と話す。まったく結婚の話は出なかった。同僚の話では、ニコニコと指輪を見せて話をしてくれた、との事だったが、自分には結婚の経緯さえ話してくれなかった。


職場内でも何人かは前もって聞かされていたそうで、彼女から結婚するかで相談を受けていた、との事だった。時期は彼女が凹んでいたあたり。じゃあ、ずばり恋愛の悩みだったんじゃん、なんで違うなんて答えていたんだろう。信用されてなかったってこと?


「うーん、やっぱ話せなかったんじゃないの?職場の人には。広まるかもしれないしね。」
「…信用されてなかったんでしょうか。 ○○さんは打ち明けてもらえたんですよね?オレ、二人で出掛けたりもしてたんですけど。」
「しょうがないでしょう。それは。」
「…彼女の事好きだったんですよ。」
「そうなの。そういうのはもっと早く言わないとね。」
「…まぁ、そうですけどね… しかし、なぜ『付き合っている人はいない』とか、当日になっても教えてくれなかったんでしょうか。」
「へぇ、でも、そんなこと彼女に聞いたらダメだよ。彼女の幸せを願うなら。」


そして、彼女は転勤する事になっていた。彼女が結婚するので新居の近くに、と希望を出したとのことで、その転属願いもだいぶ前に出ていた事を知った。この間、「今やってる仕事を続けたいから転勤はしたくない」とか言ってたのもウソだったのか!?なんてこったい。彼女から聞いた話はどこまで本当でどこからが嘘だったのだろう。自分は彼女を信頼して色々と打ち明けていたのだが、彼女は自分を信頼する事もなく、本当の事を明かしてもくれなかったのか。


数日後、彼女の結婚祝い兼送別会が開かれた。主役の彼女に対して、皆口々に「おめでとう」を連発する。なんて事だ。
自分以外の全員が“彼女の幸せ”を祝っているのだ。そこには自分は存在し得なかった。敗北感に打ちのめされた自分にとって、世界は悉く敵だった。自分と周囲とのギャップに耐えられなくなり、トイレに駆け込んで吐きまくった。酒も飲んでいなければ、食事もこのところろくに飲んでいなかったのに。ただ胃液が苦酸っぱかった。
対称的に、祝いの座の中心で彼女は羞恥のせいか頬を染め、見た事もないような嬉しげな笑顔をしていた。


そう、彼女の笑顔はまさに“La Vie en rose(バラ色の人生)”。幸せの絶頂。それは自分では無い誰かが与えたもので、自分には決して与える事の出来ない笑顔なのだ。それに気づいた時、どうしようもなく悲しく惨めになった。会場を後にしたかったが、それは出来ない。実は、彼女と約束をしていたのだ。送別会が終わった後、話をしないか、と。彼女はいつもと変わらず、「いいよ。」と請け合った。だから、会が終わるまではいるつもりだった。どこか別の場所で待ってもいいか、と思わないでもなかったが、ここまで打ちのめされるとも思ってなかったのだ。


会がお開きになったあと、彼女はあちこちの二次会の誘いを断って待っていてくれた。二人で並んで歩きながらポツポツと話をするが上の空だ。
「どうしたの?何か今日、ヘンだよ。」
「そうかい?」
平静を装うが、顔はこわばっている。もう限界だな。
人気の無い場所で彼女に向き直る。


「実はね…。」
「ん?」
「オレはキミの事が好きだったんだよ。 いいや、違うな。今だって好きだよ。」
「え!」
絶句して固まる彼女。
そして、なぜか「それはそれは…」とペコペコと小刻みなお辞儀をする。


「本当はね。もっと前に打ち明けるつもりだった。その日にキミ、結婚しちゃったけど。」
「ごめんなさい。 でも、そういう事はもっと早く言わないと… ダメだよ。」
「そうだね。勇気がなかった。」
「なんで、あの日だったの?
「それは、まぁ、ちょうどいい区切りだったんで。」
「?」
介護の話なんてしたくもない。話をそらす。
「彼は… いい人かい?」
「うん。 いい人だよ。」
ようやく、彼女の結婚や結婚相手の話が訊けた。花冷えの夜、それから1時間ほど話をして彼女と別れた。そして、彼女が幸せになるよう祈ったのだった。彼女は転勤していった。話はそれで終わりになるはず、だったのだが。


さらに続く