まちがいさがし
問題です。以下の文章のまちがいをさがしなさい。(制限時間1分 初級編)
平和の道標
ここは平和の社杜です。
このお社は護国神社といいます。日本の平和と美しい山河や家族を護るために戦争で亡くなられた静岡県出身の約七万六千人の方々を、神様としてお祀りしてあります。私達が豊かな生活が出来るのは護国神社の神様のおかげです。神様は仲良しの子供が大好きです。「ありがとうございます」と感謝の心をもってお参りしましょう。
平成十一年三月吉日
静岡県護国神社
解説です。
「平和の社」ではありません。
護国神社は靖国神社を頂点とする国家神道の地方拠点でした。よって、境内には「軍神」に纏わる展示もあります。人を如何にして「納得して死に追い込むか」のシステムの一環です。到底平和の社、などと呼ぶ事は出来ません。
「日本の平和と美しい山河や家族を守るために戦争で亡くなった」わけではありません。
日本は自ら戦争を仕掛け、再三にわたり他国を侵略・蹂躙しました。また、銃後の家族達も国家総動員体制の下で戦争協力させられています。空襲などの対応を見ても判るとおり、彼らの犠牲も省みられることはありませんでした。
「私達が豊かな生活が出来るのは護国神社の神様のおかげ」ではありません。
日本は侵略行動をエスカレートさせた挙句に自滅、無条件降伏をしています。ですから、戦いの一切はムダでした。彼らの死は何一つ役立っていません。
負ける事によって、戦没する事によって、日本の変化を促した、という人もいます。しかし、遺族は一度でも「負けてくれて、死んでくれてありがとう」などと考えますでしょうか。
家族の願いとは常に、「無事帰ってきてほしい」です。
「ありがとうございます」と感謝の心をもってお参りするのは、はやめましょう。
“日本の平和と美しい山河や家族を守るため”に何一つ役立たない形で死を強いられた人々に対して「ありがとうございます」というのは、生きている者の傲慢です。
戦没には何の意味もありません。平和にも美しい山河や家族を守る事にも関係が無かった。むしろ守るべき家族を死に追い込むことにさえなっています。
もし、この神社に意味があるとすれば、国家は、国家と癒着した宗教というのは、人の死さえも都合よく利用しようとする、という点を明らかにしてくれる事でしょう。
ですから、護国神社にお参りする時は「ありがとうございます」ではなく、「ごめんなさい」と詫びましょう。
国家は平和のため、と云い繕って戦争へと駆り立て、死へ追い込みます。
そのことに気付き、繰り返さないようにしなければ、自らが死に追い込まれても「死んでくれてありがとう」といわれることになります。
では。