シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

 「水素」 に期待するのはやめよう

ちょっと宿題になっていた話です。


再生可能エネルギーはもう終わり(日本では)回答編
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20150909/1441799763


現在、トヨタのMIRAIが登場して以来、水素社会がなんちゃら〜のような水素をエネルギー源として期待する動きがあります。国も都もオリンピックへ向けての目玉政策として盛り込んでいたりしますね。


水素社会の実現
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/energy/tochi_energy_suishin/hydrogen/


私のところでも、水素燃料電池や水素供給インフラを含めた研究開発の話が舞い込んできたりしています*1
ですが、私としては、この「水素社会」というものは、壮大な失敗に終わる可能性が高いのではないか、と思っております。もちろん、このへん、実名では云えませんので(仕事の愚痴を兼ねて)ここらで述べさせて頂きましょう。


まず、最初の誤解なのですが、「水素」自体はエネルギー源ではありません。水素が自然界にそのまま大量に存在するわけではありませんから、なんらかのエネルギー源を使って水素に単離する必要があります。水素はエネルギー源ではなく、エネルギーを運び蓄える「媒体」なのです。ですから、「水素」の利用に対しては、他の「媒体」との利便性について比較することになります。
一般にエネルギー「媒体」として最も優れているのが「電気」です。電気に比べると水素は輸送でも使用効率でも遥かに劣ります。その「水素」をわざわざ媒体として利用するメリットがあって始めて意味が出てきます。そして、燃料電池は媒体としての水素と電気をやり取りする仕掛け、なのです。


その観点から考えると、ミライなどで利用されているPEFC(高分子電解質燃料電池)は効率が高くありません。電力への変換効率はざっと30〜40%程度、大部分は低温(90℃程度)の熱として捨てられてしまいます。エコファームのような家庭設置型の燃料電池では排熱も給湯や暖房として利用価値があります。ですので、「総合効率」というような事が云われるのですが*2、電力しか利用価値の無いFCV(燃料電池車)の場合、ムダになるエネルギーが多すぎます。


また、水素を作り出す段階でもエネルギーのロスがあります。現在、最も安価で大量に水素を作り出す方法は天然ガス改質ですが、この改質の段階で天然ガスの持つエネルギーを全て水素に移す事は出来ません。推測ではありますが、FCVのトータルでのエネルギー効率は、ガソリン車とトントンでしか無いでしょう。
再生可能エネルギーによる水の還元による水素生産が可能になれば状況は幾分か変わりますが、この場合はわざわざ水素にする意味が少なくなります。水素に変えるメリットとは何か、それは、貯蔵という点です。FCV開発に取り組む企業の多くが、航続距離がEV(電気自動車)に比べて長距離走れる事をうたいます。
現在、EVの一回の充電での航続距離は200〜300kmというところです。これでは長距離のドライブに出掛けたときに充電が必要なのか、または充電ポイントはあるのかとか、充電時間が掛かるのかといったユーザーの不安ゆえにEVが一般的にならないだろう、と考えられ、それがゆえにFCVへの期待が膨らむわけです。FCVでは一回の水素充填で700〜800kmほどの航続距離と、充填時間が短いことが利点とされます。欠点は水素ステーションが未だ整備されていないことで、政府の重点政策でも水素ステーションを増やす事がうたわれています。


燃料電池自動車及び水素ステーションについて(pdf)
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg3/toushi/150126/item4.pdf


ですが、その水素のメリットが、昨今の技術トレンドから疑わしいものになっており、それが私が「水素社会」に懐疑的な理由なのです。
というのも、電池性能の向上は著しく、エネルギー密度、容量共に現状の2,3倍が視野に入ってきています。


二次電池技術開発ロードマップ
http://www.nedo.go.jp/library/battery_rm.html


つまり、一回の充電で500〜700km程度の航続距離は可能になるわけです。こうなると、一般的なドライバーにとって充電は問題とならなくなります。1日でそれほど長距離運転するケースは稀ですから、常時は家庭で充電を行ない、長距離運転が必要な場合は充電ポイントで充電すれば良くなります。また、容量が大きくなると充電に時間が掛かる満充電が必要無くなり、急速充電で時間を短縮できる容量範囲で充電しても用が足りるようになります。


こうして航続距離を延ばしたEVは、現在の自動車とはまったく違った存在になるでしょう。というのもEVは部品点数が極端に少ないからです*3。簡単に云ってしまえば、動力部は電池とPCU(パワーコントロールユニット)、モーターがあれば良くなります。内燃機関に必要な可動部品などはほとんど必要ありません。PCUはエンジンなどに比べて制御が容易ですから、極めて単純な構成が可能で、自動運転やネット接続と相性が良い。つまり、EVはエンジンをモーターで置き換えた自動車、ではなく、EVという新しい乗り物なのです。
FCVはEVのようになることは出来ません。燃料電池ユニットの制御はエンジンと比べても難しく、部品点数も多く、部品も特殊です。
電池性能と自動車車体素材の開発が進展した場合、FCVはEVに到底及ばない遅れたものになるでしょう*4


このあたりは日本の電気自動車、日産リーフや三菱のiMIEVを見ても判りません。あれらはエンジンをモーターに置き換えた自動車に過ぎないからです。
EVという新しいもの、その片鱗を伺わせるのが、BMW社のi3とi8、そしてテスラ社の各モデルです。
これらは極めて単純な構造を取っており、使う素材まで変わってきています*5


BMW i3
http://www.bmw-i.jp/BMW-i3/


テスラ社のイーロン・マスクは再三HVやFCVを否定するような主張を行っていますが、それは、EVがどのような存在になるか明確なビジョンを持っているからでしょう。

マスクCEOは先月米ミシガン州デトロイトのオートモーティブ・ニュース・ワールド・コングレスで、水素を車に使用しても未来はないと考る理由を詳細に説明した。

電気分解はエネルギープロセスとして非常に効率が悪い。例えば、太陽電池パネルを使えば、そこから電気を作り出して直接バッテリーパックに充電できる。これに比べて電気分解は、水を分解して水素を取り出し、酸素を放り出し、水素を非常に高い圧力で圧縮し(またはそれを液化して)、その後、車に取り込んで燃料電池として使用する。これは効率としては半分以下であり実にひどい。どうしてそんなことをするのか? 意味がない」と同氏は語った。

テスラモーターズ、マスクCEOがトヨタの水素燃料電池車「ミライ」生産開始を批判
http://jp.ibtimes.com/articles/1426733


現状の技術トレンドを考えた場合、FCVは確実にEVに敗北します。
少ない部品点数、構造の単純化、製造工程の簡素化、自動運転・ネット接続の容易さ、どれを取ってもFCVに勝ち目はありません。
日本の「水素社会」はFCVが鍵になっています。FCVが必要無ければ、わざわざエネルギー媒体を水素にする必要がない。電気は電気のままの方が扱いは容易です。燃料電池SOFCなら水素でなくても大丈夫です。再生可能エネルギーの不安定さを制御するために「Power to Gas」ということは考えられますが、その場合は水素社会というようなレベルのものは必要ありません。


そもそも、EVへの変化、自動化の進展が進むと、いわゆる「シェアリング・エコノミー」の代表格であるカーシェアリングが一般的になる、という意見もあります。このような進歩は、自動車を製品として販売する自動車会社の存在から、社会インフラとしての交通サービスの提供、というものへ主体変化を促すことになるでしょう。


uber
https://www.uber.com/


若者の「モノ離れ」……独身・年収1000万円でもマイカー興味なし 「買わずに済ます」生活加速 (1/3)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1608/19/news061.html


この変化は、いわばパソコンからスマホ(つまり、インターネット端末)への変化と重なるものです。パソコンというものに拘って、追いつけなくなった日本の家電メーカーと自動車会社は相似形です。
原子力政策でもそうなのですが、日本の技術開発方針はあまりにビジョンが無いか、そのビジョンを適切に考慮する努力を怠っており、さらに多様な技術や社会条件を適切に結び付けてモデル構築することが出来ません。
私には、将来に渡って水素社会が来るとは思えません*6。考え直すべき時では無いでしょうか。
では。


追記


私自身は、飯のタネである研究開発の観点を除けば、そもそもクルマ*7という存在自体に否定的なので、ここからも「水素社会」にはカラくなってしまいます。
前々から「自滅する地方」シリーズで述べているように、


・街をコンパクトにして、クルマを使わないようにする
・移動は徒歩を基準に、コミューターとしては自転車、長距離は公共交通機関が担う


のが良いのでは、と考えております。
例えば、自転車なら電動アシスト自転車という進化形もありでしょう。電池や電力制御技術、素材開発の進展は、EVよりも電動アシスト自転車の方に恩恵があります。また、EVも自動化もバスの方が容易に実用化できるでしょう。
二重の意味で「水素社会」は的外れだろう、と思います。

「水素社会」はなぜ問題か――究極のエネルギーの現実 (岩波ブックレット)

「水素社会」はなぜ問題か――究極のエネルギーの現実 (岩波ブックレット)

*1:この分野は重点政策として研究助成が充実しているので、共同研究を求める企業が増えている

*2:エコファームでもSOFC(固体酸化物型燃料電池)の方が発電効率が高く、熱も高温のため利用効率が高い

*3:現段階で、自動車の部品点数が約3万点、EVは約2万点になるといわれます。おそらく、部品点数はもっと減る事になるでしょう

*4:こうした製品は、如何に可動部品を減らすかで勝敗が決まります。古くは携帯プレーヤーの歴史で、DATとMD、さらにHD利用のMP3プレーヤーとなり、メモリー利用、現在では、記録媒体内臓からネットストレージへの移行を考えれば判ります。

*5:BMWのi3はCFRP製。製造はチェコの工場で行っているが、その製造電力の大半が再生可能エネルギーである。これは、EVが本体のシンプルさだけでなく、製造プロセスも簡素化出来ることを示している

*6:燃料電池の技術進歩という点ではFCVの開発はインセンティブになったと考えられる。しかし、インフラ等への展開は問題がある

*7:ここでいうクルマとは、自動車全般の意味では無く、交通を個人ベースに委ねる自家用車のこと