シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

それでも日本人は「足して2で割る」を選んだ

先日の衆議院選挙に関して、興味深いコラムを読みました。

衆院選>それでも日本人は新自由主義を選んだ(現代ニホン主義の精神史的状況 藤崎剛人)
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/11/post-24.php

北守さんこと藤崎剛人氏が書かれたものです。選挙の結果は維新・国民民主の勝利であり、人々が「新自由主義」を選んだ、という話でした。話自体に異論は無かったのですが、果たして人々は「新自由主義」を選んだ、のだろうか。そもそも、維新を新自由主義政党と認識していたのだろうか、と感想を持ちました。なぜなら最近、こんなことを体験したからです。

 コロナ禍もなりを潜め始め、落ち着いてきたかなという頃、少人数ですが一席設ける機会がありました。久々の宴席ということもあり話題も尽きなかったのですが、その中で、知人の教員が歴史談義を行なっている、という話が出たのです。そこで一人が「それって偏ってない?」と持ち出しました。話した当人は「特に偏っていないと思うよ。バランスは取れていると思う」と述べたのです。
 私は驚きました。「偏ってない?」と尋ねた人も「偏ってない」と返した人も、どちらも別に歴史に詳しい人物ではなかったからです。どうやって、偏っている、偏っていない、というのを判断するのだろう。そもそも、ここにおける偏っている、偏っていない、というのは何を指すのか、“偏っていた”らどうだというのか。まったく判らないことだらけでした。
私にとって、歴史を含め、学問と云うのは正しいかどうか、そしてどのようなプロセスを経たものなのか、ということには興味がありますが、偏っている、偏っていない、というのは意味が判りません。正しいかどうか、は実証作業や文献精読によって知ることが出来ますが、偏り、はそんな簡単な事では無いのです。
なぜなら、偏っている、偏っていない、というのは、その判断基準が明確でないと判断出来ません。判断基準を明確にするには、その全貌について広範囲な知識と判断力が必要で、それだけの知識も判断力も無い者が偏っている、偏っていない、と決めるのは随分大胆な真似をするものだな、と感じたわけです。

私もまあまあの期間、ここに駄文を書き連ねていますが、正しいかどうかについては判断、断定したことがありますが、偏っている、偏っていないを述べたことはありません。
 以前、エントリーにもしましたが、偏っている、偏っていないを判断する、というのは本当は非常に難しいことなのです。

 

東浩紀の終焉
https://dr-seton.hatenablog.com/entry/20090113/1231856152

 

 つまり、偏っていないポジション=「中庸」を尊ぶつもりなのでしょうが、大概は単なるどっちつかずでしかなく、そして、中庸に相応しいほど深く掘り下げたものでもない。せいぜい「足して2で割る」に過ぎず、中庸とは程遠いのです。ただ、過去エントリーで書いたように、日本の政治家は自分は中庸にいる、と“バランスの取れた(つもりの)”ポジションに拘泥します。同様に“普通の日本人”も自分を真ん中のポジションだと思いたがる。そう、思いたがっているだけ。

 右でも左でもない日本が好きなだけの普通の日本人、というプロフィールに見覚えがありませんか?もしくは、アナタがそう紹介しているか。でも、そんなプロフィールの人は、大半が歴史修正主義権威主義的でとりわけ社会的弱者の人権を蔑ろにする与党支持者だったりします。自分が“中道”“普通”*1と考えている人は多そうですが、自分がどうやってそう判断しているのか、少しは省みても良いのではないでしょうか。

 さて、自分が“中道”“普通”と考える人々はその行動誘導が容易です。選択肢を3つ用意しておけば、真ん中を選びたがるからです。

 つまり、“中道”“普通”とは、両端を設定することで生まれるわけで、かなり恣意的に誘導できるのです。

 こうして、今回の衆院選を振り返ると、維新(または国民民主)は一貫して、真ん中として見せ掛けようとしていたことが判ります。自民を右(正確に云えば保守的に)に、立憲と共産をくっつけて立憲共産と呼ぶことで左に位置づけ、維新・国民はそれらと“一線を画す”存在としてアピールしていました。これは、維新・国民自身だけでなく、メディアもそういう方向に誘導しています。
「立憲共産党」というのは選挙期間に何度となく聞かれたフレーズですが、一体化して扱うことで左端に位置づけよう、ということだったのでしょう。

 

衆院選麻生太郎氏が痛烈「あちらは立憲共産党」応援演説で野党共闘批判
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202110220001103.html

 

そして、維新は大躍進。もちろん関西地区では全国状況とは違いますが、選択した有権者が「新自由主義」を選んだ、というより、“真ん中を選んだ”“足して2で割った”つもりなのだと思います。政党の政策や実績、それらを勘案して検討したら、果たしてこのような結果が出たかどうか。何よりポジションを気にする日本社会らしい結果ともいえます。

 

維新と国民、第三極の存在感 立民、共産に「オールド野党」攻撃 立民は党再建急務
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/830118/

 

ただ、この傾向は日本社会特有とは云えないかもしれません。いまやその正体が明らかであるトランプ前大統領ですが、彼が躍進した2016年の大統領選時には、民主党でも共和党でもない*2“第三の候補”的扱いでした。そして、政権の座に就いてからはご存知の通り。
 偏らない、真ん中、を欲するのは世界共通かもしれません。皆、自分が真ん中、普通、バランスの取れた、存在だと思いこもうとするし、そうした人(と思われる人)を支持する。付和雷同意識の強い日本では顕著なだけかもしれないですね。

 中道を目指すのは悪いことではありません。でも、もしそうしたいのなら手間を惜しまず情報収集し学んで、“偏り”を判断できるだけの蓄積を得てからにしましょう。
 まあ、私はそんな能力も知識も無いので、事実を述べているかどうかとビジョンで判断しますが。では。

*1:そもそも、普通というのが私には判らない。何をどう「普通」と称するのか?そしてどうやって自分が「普通」であると判断するのか?

*2:トランプは共和党から出馬しているが主流派ではなかった