シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自滅する地方都市3 トゥモロー・ワールド

自分が勝手に考えるまちづくりについて書こうと思っていたのだが、はてブの反響が大きかったので、ちょっと現在の施策のまま「都市整備事業」を進めると地方都市がどうなるか考えてみたい。たぶん、為すべき事、が明確になるだろうから。


http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20070328/1175070164

>tanbry 浜松市もなかなか不便ですよ。車持たねば人にあらず。

id:tanbryさんは浜松市の方かな?浜松市には触れてなかったのだけれど、おそらく政令指定都市となる事と併せて、県内では浜松の状況が一番ヤバイと考えています。駅前再開発と郊外開発の両方を進めていて、その範囲がとてつもなく広いことを考えると、財政的破綻は時間の問題だと思う。現在、浜松市長選が行われていて、各候補が「行財政改革」を叫んでいるけど、上記の点について触れている候補はいない。後述するけど、議員数、議員歳費、公務員数、公務員給与削減、などで賄えるレベルではないです。

>o_keke_nigel インフラの維持、という観点から考えると、「自家用車社会」すら維持できなくなる可能性が…。


>tessy3 建設省時代の報告書に人口減少による税収減と修繕費用の増加で20**年以降、新しい社会基盤整備予算がなくなるどころか、既存の維持もできなくなるという予測結果があった。

id:o_keke_nigelさん、id:tessy3さん、まさに仰るとおりです。道路整備に限った話では無いですが、郊外化を進めた結果として、インフラ整備・維持の一人あたり費用は増大しています。自分が危機を持ったのは、前々回エントリーの信号機の話と共に、次のような記事を見たからでした。

「道路維持・整備『10年で58兆円』」
国土交通省は1日、今後10年間(07〜16年度)の道路整備目標や事業費などを盛り込んだ「中期ビジョン案」を公表した。供用中や事業へ着手済みの道路だけでも維持修繕や震災対策、渋滞解消などに事業費(民営化した高速道路会社分や地方道への補助を含む)58兆円が必要と試算。06年度予算の整備費5.9兆円(同)のほぼ10年分に相当する。58兆円の内訳は供用中の道路の維持修繕に15兆円、災害などの緊急時に確保すべき重要道路の震災対策や歩道整備などに10兆円、渋滞解消など「円滑化対策」に17兆円、3大都市圏の環状道路整備などに16兆円。16年度時点で供用後50年を経る橋が国・地方道合わせて約28400カ所にのぼり延命のためにも維持修繕が欠かせない、とも主張する。
(朝日新聞 2006/6/2 より引用)


もちろん、高速道路整備も含めていますが、道路だけで10年で58兆円です。国交省の見積もりであることを考えれば、実態はこれより大幅に上昇するでしょう。その他のインフラ整備・維持費用を併せたら、どの程度必要になるか考えただけで恐ろしくなります。


しかも、道路特定財源の一般化に関しては次のような意見が出てきます。

JAF 道路のために払っているクルマの税金の一般財源化には反対です!!
道路特定財源制度は、戦後日本の立ち後れた道路の整備を早急に行うために設立されたもので、その財源とするためにクルマに関して様々な税金が創設されました。さらに、日本の高度経済成長期の「道路需要」に応えるため、緊急措置として、本則税率を大幅に上回る暫定税率が30年以上にわたり自動車ユーザーに課せられてきました。(略)

https://www.jaf.or.jp/enquete/signature/200601sig_index.htm


地方では道路の整備が必要だと訴え、道路特定財源一般財源化に反対する声が高いですが、整備が済んだ後について考えている様子はありません。現在の道路状況でも維持管理に必要な経費が増大しはじめているのに、まだまだ増やすつもりなのです。
地方の交通に関する問題は、どこに発端があるかは別としても悪循環が続いていることは皆が指摘している通りです。道路建設と自家用車利用増大、公共交通機関衰退は独立した問題ではなく、関連しあっています。ですが、その結果としての「自家用車を前提とした生活」を是認し、放置する事は危険だと思います。インフラ整備・維持費用は増大します。高齢者も増加し、福祉・医療・介護費用も増加します。一方で人口は徐々に減少します。
今後10年後ぐらいでどうなるでしょう。


まず起きることはインフラ老朽化です。すでに上下水道管はかなりの割合で漏水があります。今後、それが増加していくでしょう。同様にして道路の維持管理も行き届かなくなります。現在に比べ高齢者が増加するのに、彼等は免許を手放すことができません。ですが、高齢になるほど反射速度、判断力は衰えます。飲酒運転が問題になるのに、高齢者の運転が問題にならないのは奇妙な気がします。
彼等の運転の妨げは衰えだけではありません。道路修繕が追いつかないため走行条件は悪化します。信号が故障して事故が起きる事も予想されます。信号の修繕が追いつかない事は指摘されているとおりです。彼等に免許返上を促したくても代替となる公共交通機関が無い状態では、それもままなりません。
近所で買い物ができなければ、郊外の大型店舗へ出かける事になります。それでも大型店舗があるうちは良いかもしれません。大型店が突如撤退したら、買い物もどうにもならなくなります。医療にしろ介護にしろ自家用車だけが頼りです。なのに、その道路環境自体維持できるかわからないのです。自然と高齢者の自動車事故は急激に増加するでしょう。加害者も被害者も高齢者、という状況はやりきれない話です。


それぞれが孤立した一軒家に住む一人暮らしの老人達。買い物も医療もクルマに頼らなくてはならないのに、運転はおぼつかず、道路状態は悪化。しんどくても免許もクルマも手放せない。それでも、出かけられるだけマシかも知れない。年金は減らされ、税金は増える。クルマ維持に掛かる経費に耐えられなかったり、免許を手放してしまえば、生活の手段すら失われる。状況に耐えかねた人達は続々と地方を離れるが、離れられる所があるだけ幸せ。道路が増えたのに、その恩恵を享受できるものはどんどん減っていく。


これが、東京など一部の「都市」を除いた「地方都市」の将来です。前回のエントリーで「狭い区域に人口を再集中して都市整備を行う」コンパクトシティの必要性を書きましたが、単純に人を集めるだけではダメです。ハッキリと脱自動車社会を盛り込む必要があります。そして、それがコンパクトシティの必要条件になるのです。


地域再生の条件 (岩波新書)

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地域再生の経済学―豊かさを問い直す (中公新書)

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孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

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追記:写真は京都祇園の白川 京都はコンパクトシティのモデルです。