シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

本当はコワいバットマン ダークナイト

若き大富豪ブルース・ウェイン。彼は蝙蝠のコスチュームと仮面に正体を隠しバットマンとして犯罪都市ゴッサムの悪と闘う。バットマンの闘いに勇気づけられた人々は犯罪組織と闘う勇気を取り戻しつつあり、犯罪組織は焦りを強めていく。そんな彼らに狂気の犯罪者ジョーカーが接近し、バットマンとの闘いを任せろと持ち掛ける。ジョーカーの狙いはバットマンの素顔に向けられる…


あまりにあちこちで好意的な評価が多かったので見に行ってしまった。バットマンなんて、バートン版の一作目しか見に行ったことが無かったので、若干判りにくいところもあったが、ま、バットマンの基本設定は知っている世代ですわ。
で、感想はというと、「とんでもないモノを見てしまった。どうしよう。(納谷悟郎風に)」という感じ。


もともとバットマンはアメコミのヒーローもの、であるから映画、それも実写にしようと思ったらキッチュにならざるを得ない。キッシュさを無視したのがTV版だとすれば、「じゃあ、徹底的にキッチュにしちまえばいいんじゃね?」のノリで作られたのがバートン版。演じた役者もノリノリで、特にジャック・ニコルソンのジョーカーなんてのは「怪演」としか云いようがなく、代々4作目までは、キャラクターを演じる役者の「ノリノリ」っぷりを楽しむのがお約束だった。オレって(アタシって)こんなオバカもやれるのよ、みたいな。そのへんは、登場した俳優がどういう連中だったか見ればすぐ判る。


で、それを並々ならぬ力量で「リアル」な話にしちまったのがクリストファー・ノーラン。で、リアルにしちまうと、バットマンというのはアラが出てしまうのだが、逆手にとってメインテーマにしてしまった。
「顔(正体)を隠して悪人を退治する、って、法も無視しているじゃん。そんな変態チックなヤツに正義の味方面して欲しくないね」という部分をそのままゴッサム市民の隠れた声にする。ヤツは何なの?と。
対してジョーカーはリアルにする事で、その狂気性を前面に押し出す。
「手段のためなら目的を選ばず」どころか、自分の命さえ選ばない。そのへんは冒頭で示される。
目的はハッキリしているが手段(正体)が判らないバットマンと、手段はハッキリしているが目的がさっぱり判らないジョーカーは“法の外”の住人として一対の存在だ。ジョーカーはそれをバットマンに向かって指摘する。自分の存在をはっきり意識しているジョーカーに対し、自分の正体を隠している事に後ろめたいバットマンは常に後れを取る。その葛藤がダラダラと続くわけで、全体に暗い色調に覆われて陰鬱な展開になる。ヒロインはおっ死ぬし、気鋭の検事デントは正義への無力感から復讐鬼に変じる。市民はバットマンに不信を抱き、素顔を出せと迫る。全編ジョーカーの存在感だけが異様に強い。
この悪っぷり。「ノーカントリー」のアントン・シガーに匹敵するほどで、「ジョーカーvsアントン・シガー(JVA)」とか作ってみたら面白いかも。他にも「ジョーカーvsプレデター」とか、「ジョーカーinクローバーフィールド」とか。


閑話休題


が、しかしそれでも最後には、市民と囚人同士殺し合わせよう(互いの避難船の爆破を互いに委ねる)としたジョーカーの目論見は外れ、ジョーカーは逮捕される。
一方で、ジョーカーの居場所を掴むため全市の盗聴を行い、復讐鬼となったデントの罪さえも被ったバットマンはもはや“正義のヒーロー”ではない。悪を倒すために自ら闇へ身を浸す“暗黒の騎士”だ。この強烈なノワール感。これって、「必殺シリーズ」や「ハングマン」みたいだな、というところか。


だが、この全面にノワール感を打ち出した「ダークナイト」がアメリカでヒットしたところが引っ掛かる。
なぜ、“正義の味方”が闇に身を浸す話がそれほど人気を呼んだのだろう。


アメリカは今まで自らを「自由と民主主義の守護者」と任じ、その戦いを、それが嘘で塗り固められていたとしても、「正義」の戦いとしてきた。イラク戦争でさえもそうだ。
しかし、イラクでの事実が明らかになり、ブッシュ政権が戦争に引きずり込んだ経緯が隠せなくなった今、「正義の戦争」という言葉は疑問視されるようになった。「正義の戦争」を疑問に思うなら解決策は、戦争を止める、というのが考えられる。だが、そこで「正義」というレッテルの方を外す、という選択をアメリカは取ろうとしているのじゃないだろうか。


アメリカは、イカれた道理の通じない、手段も目的も選ばない、(ジョーカーのような)テロリストによって脅かされている。それに対抗するには、お上品な“法に基づいた”やり方じゃダメで、(バットマンのように)盗聴でも嘘でも使わなきゃならないのだ。それが本当の“ヒロイズム”なんだ。」
ダークナイトを見に来た観客は、映画にそんな正当化の意味を見出そうとしているのかも知れない。
まるで「24」のようだね。


「拷問しましたけど何か?民間人殺しましたけど問題ある? もはや『非常事態』なんだよ。そんな綺麗事云っている“平和ボケ”の出る幕は無いんだ。やむを得ないんだ。」


自分は今まで「自由」を旗印に掲げて戦争を行うアメリカが怖ろしいと思っていた。しかし、「自由」さえ掲げないで戦争を行うアメリカは心底怖ろしいと思う。それは、「暗黒の騎士」どころではなく、「暗黒の夜」である。