エロゲーと性差別
id:felis_azuriさんからコメント頂きまして、次のようなブログが開設されたそうです。
あなたは悪くない
http://manysided.blog85.fc2.com/
だから、同じ被害にあったあなたたちに伝えたい。
あなたは何も悪くない。どんな事情があったにしろ、あなたは悪くないのです。どんな特殊性があったにしろ、望みを捨てないでほしいのです。悪いのは加害者であり、無理解な社会です。あなたは、何も変わってなどいない。とても素敵なところをいっぱいもっている、素敵な女性のままなのだから。
性犯罪被害に遭われた方(そして、それに対して共感を寄せる方)に向けて開かれたブログですので、皆様、立ち寄られる事をお薦めします。
…ただ、自称俗物、他称餃子(キチガイでもあるらしい)の私が紹介して良いものでしょうかね?
営業妨害にならなければいいのですが。
さて、紹介してくださった碧猫さんも性犯罪被害や性差別について再三取り上げてらっしゃいます。
ぶっちゃけ、男である私に性差別の何たるか、が実感として判っているとは思いません。ただ、知ろうとする態度は持ち続けなければ、と思っております。
で、ちょっと碧猫さん達にお願いがあるのです。以下の御仁に少しばかり、何が問題であるのか教えてやって欲しいのですよ。
・レイプゲームの何が悪い?
http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20090524/1243180700
・我々は表現の自由のために闘い続けなければならない!!
ttp://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20090528/1243521883
・表現の自由は紐付きの権利ではない
ttp://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20090607/1244368415
碧猫さん達にお願いするのは正直ためらいが有るのですが、何せ、「女性を陵辱する」ゲームを「自由にさせろ」「表現の自由の問題だ」と述べるだけ。そこに「性差別が潜んでいるがゆえに問題とされるのだ」という指摘を、吹き上がるばかりで女性の気持ちに配慮する様子もない。
具体的に規制派と政治的な闘争をする場合において、一つの妥協として「性暴力反対」のポーズをとることは妥当な戦術的判断であると言えるでしょう。ただ、これは「表現の自由をうったえるならば、性暴力(ヘイトスピーチ)反対でなければならない」というものではないと考えます。
(表現の自由は紐付きの権利ではない より引用)
性差別の問題意識を「妥当な戦術的判断」って捉えるあたりに、ダメダメさ加減が出ているわけで、正直相手にしたくは無いのですが、さりとてこの問題を悪用(そう、ハッキリと悪用と言って良いでしょう)しようとしている山谷えり子らの後押しをしてやるのも癪に障ります。私のところのコメント欄でいいので、少し「(陵辱系)エロゲー」とそれが野放し状態をどう考えているかを指摘して貰えたらと思います。彼らには当事者意識が欠けている、と考えるためです。
さて、この件に関して問題の差別性に気づかないのはガックリしますね。例えば、今年次のような話がありました。
ゲームソフト会社のコナミデジタルエンタテインメント(コナミ)が、04年11
月にイラクのファルージャで一般市民など2千人以上の犠牲者を出した米軍の戦闘を
疑似体験できるコンピューターゲームの商品化を検討していたことがわかった。今月
初め、同社の米現地法人が来年以降の製品として発表したが、米国などで批判が続
出。同社は「扱わないことを決めた」という。(略)
(朝日新聞より引用)
参考:イラク平和テレビ局 in Japan ブログ
http://peacetv.seesaa.net/article/118151217.html
戦争を扱ったシューティングゲームなど珍しくもないわけですが、なぜ批判を浴び、発売中止になったか、そこが、差別の問題と、そしてその「無力化」に関連します。
例えば、無差別殺人ゲームといえば、「Postal」シリーズなどが有るわけで、悪趣味で残虐でありますが、発売中止、などにはなっていません。でも、その中でアフリカ系やアジア系、を狙い撃ちするようなゲームだったら、発売中止になったでしょう。つまり、そこに「差別」が見えているからです。その立場を逆転させても「差別」を感じ取れない。なぜなら、実際に差別する側と差別される側には厳然とした非対称な立場があるからです。
同じ事が女性差別に対しても云えるわけです。以前、痴漢事件の件でProdigal_Sonさんに指摘された事がありますが、女性は「消費される性」の「対象」として依然として捉えられているわけです。消費する側と消費される側、それは非対称な構図であり、入れ替え不可能な構図です。その構図の中で「女性を陵辱する」ゲームが商品として「消費」される状況、が「女性」にどう感じられるか、火を見るより明らかではありませんか。
それに対して、「言論・表現の自由」を押し立ててみたところで、女性一般に届くわけはありませんし、私も共感致しません。
では、このような「差別」状況が「無力化」されたケースはあるのか?
マッチョの元祖、ジョン・ウェインはかつて「グリーン・ベレー」という映画を製作、出演しました。
だが平和は、ほんのひととき。ベトコンの奇襲、味方にいたスパイの摘発など部隊の仕事は、たえまなく続いた。そして山岳原住民の協力を得たのも束の間、一夜にして彼らは全員殺されてしまった。政府軍への協力を決意した部落民に対するベトコンの残酷な報復であった。
(グリーン・ベレー あらすじ goo映画 より引用)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD2752/story.html
この映画では、グリーン・ベレー(=アメリカ軍)は正義の味方、ベトコンは悪辣な敵、として扱われています。さすがに上映当時でさえ、この映画は批判の対象であったようで、キワモノ扱いにしかなっていません。今見れば、トンデモ映画、として扱える事が出来るでしょう。それは、ベトナム戦争がアメリカ側の敗北、として終わったからです。何マヌケな事描いてんだ、という「無力化」された存在なのですね。
では、一方でそのジョン・ウェインの出世作「駅馬車」はどうでしょう?「駅馬車」には当然、アメリカ先住民差別が描かれている事は作品を評価する上で欠かせないでしょう。批判的視点無しに扱う事は無理です。それは、先住民差別が現在も続く問題だからです。
「グリーン・ベレー」(とそれに類する映画)を無力化するためにベトナム戦争が終結したわけではありません。「駅馬車」を陳腐化するために先住民差別を止めなければならないわけでもありません。しかし、非道な戦争も、差別も止めなくてはならない。
であれば、furukatsuさん達がどうすればいいのか、も明らかではありませんか。「エロゲー」のため、などではなく、あなた方が一市民として「性差別」をどう考えているのか、を示すことですよ。
それを、“そこが理解できない”“本気で思うことは出来ない”“よっぽどkanonの方が実感がある”“現実の政治問題としてのポジショニングは理解出来る”程度に捉えるというなら、「エロゲー」がどうなろうとも、私には興味がありません。だって、“理解出来ない”し、“本気で思うことは出来ない”ですから。問われていることはそんな事では無いんですよ。
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