シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

どくとるランボウ後悔記 その3

その日は早朝から雨だった。日食の日、観測地点まで赴くために早起きしたのだが、気分はすでに萎え気味。どう見たって無理じゃね?
それでもツアーの大部分を占める「日食ハンター」は張り切って機材を点検している。いったい、どんくらい用意してんだよ。
中国時間で9時過ぎには日食が始まる。皆既日食は10時半過ぎ。まぁ、暗くなるところくらいは体験出来るだろうな、と観測地へ向かう。周囲には自分達と同じ海外からの観測客がわんさか。到着しても、ハンター達のように機材セットなどする気にはならない。第一、そんな装備持っていない。
ただ、雨宿り出来そうなところで時間を潰す。
時間的にはとうに日食が始まっている頃なのだが、曇り空では何も判らない。暗くなっているのかさえも見えやしないのだ。太陽の方向には何も見えず。ちょっと前に多少輪郭が見えたりしたのだが、その時間にはしっかり曇っていた。


消える直前にちょっとだけ見えた太陽


ところがだ。その時間になるといきなり真っ暗になった。本当に僅かの間。冬の6時頃のような暗さ。おぼろげに浮かび上がる周囲の輪郭。これほどいきなり暗くなるとは思わなかった。もっと徐々に暗くなると思っていたのに。生き物達も驚いたらしく、虫から鳥まで大騒ぎをしている。連中にも晴天、じゃないけど霹靂であったらしい。
5分後、世界は再び明るさを取り戻す。あっという間だった。いきなり暗くなって、いきなり明るくなるのだ。皆既日食が部分日食とはまるで違うものだ、と判っただけで良い体験だったかな、と慰める。ハンター達はひどくガッカリしていた。すでに彼らの興味は次の日食へ向けられているようだ。前向きというかなんというか…。


雨の中、再び上海へ戻る。上海で日食が見れていたら悔しいな、と思ったのだが、こちらでも太陽は見えなかったらしい。後での話、若干だが見ることが出来た地域があったらしい。うらやましいね。


ヤケ飲みしたビール


雨の上海に戻って、上海雑伎団を見に行く。芸はとにかく凄かった。アクロバットからディアボロを始めとするジャグリング、最後の球体内をバイク5台で走る芸に至るまでテンポ良く、かつスリリングに進む。昔見た時にはパンダの芸ってのもあったんだけど、今はやっていないのか。残念。


そして夕食。旧市街から黄浦江のトンネルを越えて対岸へ。巨大なビル群を抜け、川岸にあるレストランで食事を頂く。正直、もう大量の料理にはうんざりしていたうえ、日食ショックで盛り上がらない。それにしても、この地域、かつて上海に来た時は何も無い地域だったのに。今じゃビルからテレビ塔から、高速道路に至るまでこちらの方が上海の中心なのだ。
かつて、散策した外灘(バンド)を対岸から眺めながら、感慨にふけってしまった。





外灘からの夜景

上海に限らず、かつて知っている土地を訪れる事に自分は躊躇いを感じてしまう。かつての自分の記憶が塗り替えられてしまう事を怖れるからだ。未だに幼少期に育った土地へ行く気が起きない。そこが大規模に開発されたことを知っているから。遊んだドブ川も田んぼも製材所も資材置き場も空き地も大きな木もすでに無くなっているのだろう。土地の記憶は、新たな記憶に「上書き」されてしまう。それがイヤで自分は行きたくない。上海も同じだった。
しかし、懸念は杞憂だった。
変化が無かったわけじゃない。逆だ。開発の規模が凄すぎて、以前見た光景と被るところが何一つ無かったのだ。土地の記憶の上書きも何も、「記憶にある上海」と「現在の上海」はまったく別の都市にしか思えない。これほどの違いが出てしまうとは思わなかった。恐るべき中国。
町並みには巨大なビルが建ち並ぶ。街区(小区と呼ぶらしい)の集合住宅群を破壊して作られたものだ。そして、自分にはそうした巨大都市はまったくなじめないものだった。
いろいろくたびれた自分は、その日は早々に引き上げて眠ってしまったのだった。
(続く)


おまけ

自転車で発泡スチロール箱を運ぶオバサン ツボにはまった