シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

「体罰」とスポーツ教育

現在、子供たちにサッカーを教えている。
といっても、自分の子供ではないし、スクールや学校でコーチをしている、という訳ではない。
自分たちのチームの練習に子供たちが参加している、と云うだけのことである。
いくらオッサンチームとはいっても、やはり子供にとっては、体格、スピード、テクニック、判断力、どれを取っても敵わない。
が、それでもウチのチームの美点というべきか、子供たちを邪魔あつかいしない。そればかりか、積極的にパスを送るようにしているし、積極的に攻撃させる。ボールを持てばドリブルに行かせるし、ゴールが見えればシュートさせる。チームメンバーとして、極力一人前として扱うようにしているのだ。そして、決して叱らない。部活やクラブじゃないんだから、子供たちにも楽しくやってもらわないと、こちらもつまらない。そのかわり、良いプレーをすればどんどん誉める。悪いプレーがあったら、具体的にどこが悪かったか指摘して、次はどうしたらいいか示す。


そうしたらどうなったか。


子供たちがめっきり巧くなったのである。一人の子は、市の選抜に選ばれたり、トレセンに参加したりしている*1
当然といえば当然かもしれない。本気では無いとはいえ、大人とプレーしているものが同年代の子供たちとプレーすれば、プレッシャが違うから余裕が出る。その余裕がプレーに幅を持たせているのだろう。
何よりのびのびとプレーして、いろんな事にチャレンジ出来るのがいいのかもしれない。
その子は、うちのチームで練習するのが楽しいそうだ。そして、それはとても大事な事だと思う。


彼は将来日本代表に選ばれるかもしれないし、そこまではいかないかもしれない。
自分は、スポーツがナショナリズムにくっつくのは好きじゃないし、スポーツによって人格が向上するという考えにも賛成できない。スポーツはスポーツであって、それ以上でも以下でもない。
だから、彼らが代表入り出来ればうれしいだろうが、たとえ入れなくても残念だとは思わない。
だが、サッカーが好きであるがゆえに成長してくれるのはとてもうれしい。


自分が育った静岡県では、子供は物心つく頃からボールを蹴り始める。だが、本当にサッカーが面白いと思えるようになったのは、大学に入ってからのことだった。サッカーをしなくていい環境になってから、サッカーが面白く、そしてやりたくなったのだ。同好会を作ったり、クラブに入ったりして楽しむようになって、今でももっと巧くなりたいと思っている。今では衰える体力との勝負になってきているのだが。そして、サッカーが好きでプレーするのが何より楽しい。


だから、子供たちに一番望むのは、サッカーが好きであり続けてくれること。そして、今後プレーするたびにサッカーをするのが楽しい、と思ってくれることである。
自分があと何年サッカーを出来るかは判らないが、可能な限りサッカーが好きな子供を育てていきたいと思う。

*1:日本サッカー協会は、全国から有望な子供を選出して練習させるトレセン制度を行っている 詳しくは ナショナルトレセン制度 http://www.jfa.or.jp/training/training_center/national_tracen.html 参照のこと