シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自滅する地方 〜自滅する静岡、つぶされる丁字屋〜

暫定税率維持訴え 知事ら静岡駅で街頭広報


 県と、県内の市町や運輸などの業界団体で構成する県道路利用者会議は15日朝、道路特定財源確保の必要性をアピールする街頭活動を静岡市のJR静岡駅構内で行った。石川嘉延知事と小嶋善吉静岡市長をはじめ、県と同市の職員35人が参加し、通勤客らに道路特定財源暫定税率維持への理解を呼び掛けた。
 石川知事らは、暫定税率が延長されない場合に懸念される道路整備の大幅な遅れなど県民生活や地域経済への悪影響を説明したチラシを配布しながら、「道路特定財源の確保に理解をお願いします」と訴えた。
 県などはこのほか、3月2日に静岡市内で「道路特定財源の確保」県緊急大会を開き、道路特定財源確保と暫定税率維持を訴える緊急アピールと決議を行う。
(2008/2/15 静岡新聞 より引用)

道路は地方の活力を奪った

千葉市稲毛区 )

私の出身地は房総半島の中ほどにあります。昔から街の中心を一本の県道が貫いており、両側の商店街は繁盛しておりました。
ところが、バイパスが出来たために、酒屋も呉服屋も洋品店も眼鏡屋も時計屋も八百屋も魚屋も肉屋も旅館も食堂も売れ行きが激減し、閉店又は開店休業となりました。
バイパスが町を活性化したのではなく、反対に衰退・疲弊させ潰してしまったのです。バイパス沿いの商店や量販店には初めは車でお客が押し寄せていたのですが、今では高齢化が進んで車での買い物客が減り、衰退し始めています。
バイパスを造った当時は、中心商店街の混雑を緩和するためということだったのですが、つまり、「必要な道路」だったのですが、結果は街を壊してしまったのです。
バイパスは町のためには何の役にもたたず、今ではそのバイパスは、車で30分の隣の市やその先の市への買い物に使われています。
道路が地方の活性化ではなく、衰退・没落につながるということの典型です。

朝日新聞 2008,2/13 朝刊 )

静岡市を西に進むと、ほどなく幅の広い河へ突き当たる。安倍川だ。安倍川はもともと戦国期には現在の静岡市内を縦横無尽に流れていた。静岡市の原型は川の中州を繋いで出来たような町であったらしい。安倍川を現在の河道に移したのが徳川家康。全国の大名を動員して行った大工事の跡は、とりわけ賦役の負担の大きかった事にちなんで薩摩土手と呼ばれている。


その安倍川を渡った先に丸子がある。東海道五十三次の宿場町として古くから栄えてきた。府中(静岡)宿や岡部宿からも大した距離も無いのに宿場であったのは宇津ノ谷の峠の麓にあったためだろう。現在の丸子の町は、安倍川堤防を越えたあたりから旧東海道にそって、歴史の色合いをそこここに残している。ところが、その丸子がつぶされようとしているのだ。


その原因となるのが、現在進行中の静岡市の道路事業「丸子池田線」。


「丸子池田線」(静岡市道路建設状況)
http://www.geocities.jp/shizuoka_v1/page005.html


池田は静岡市の中程、旧静岡市・旧清水市境界近い地域。道路整備や区画整理が遅れ、自動車交通の便があまりよくない静岡駅南側の地域を東西に貫く形で通そうとしている幹線道路が「丸子池田線」である。小さな住宅や田畑が入り組んでいた地域を次々と買収*1して建設を進めている。そう、現在も東西ともに「建設中」なのだ。東は県道362号線で細い市道に変わる。静岡市は安倍川に架橋する際、既に東西の幹線道路が開通している「SBS通り」でも「南幹線(カネボウ通り)」にも繋げず、新設予定の「丸子池田線」に沿って静岡大橋を建設した。そのため、橋が接続する道は東名の取り付け道路だけになり、朝夕の渋滞を誘発することになった。「丸子池田線」が開通すれば、確かに自動車交通は便利になる。しかし、それは静岡市の一層の郊外化を進める事になるだろう。


静岡市民はあまりそのありがたみを感じていないようだが、静岡市の商店街は日本の地方都市においては例外的な程に活気がある。とりわけ賑わいがあるのが呉服町通りである*2。また、駅周辺部には地方都市からの撤退が相次ぐ百貨店がまだそれなりの地位を占めている。松坂屋伊勢丹西武百貨店とその撤退後に入居したパルコ、丸井、現在では109も出店した。駅ビルのパルシェもそれなりに健闘し、バスターミナルの新静岡センターも改装を控えている。人口規模で考えれば、これほど活気のある駅周辺は珍しい。
周辺市町村からのストロー効果などの要因も考えられるが、大きな要因が


・旧大店舗法を含め、郊外大規模店出店を抑制してきた
・市街が比較的中心に集まり、道路交通網の発達が遅れていた*3


である。
大店舗法は既に廃止され*4、道路網の方は区画整理事業とともに着実に進められてきた。併せて大規模店舗の郊外出店も目立つ。静岡市は自ら、その利点を損ね、緩慢に自滅しようとしている。


丸子は、その静岡市の縮図のように、比較的活気のある商店街を保ってきた。静岡市の中心部や他地域に出るには道路渋滞が多い事もあって、独自の商圏が存在してきたのだ。また、静岡中心部と丸子を結ぶバス路線も比較的乗車率が高い。だが、道路網の整備に伴い自動車に頼る事が増え、イオンが出店した。商店街は追いつめられている。そして、「丸子池田線」の開通は丸子の町を激変させるだろう。なぜなら、「丸子池田線」は「旧東海道」へ接続され、「旧東海道」が拡幅されようとしているからである。


旧道沿いは古くからの家並みが、細くくねった道に面するように連なっている。そんな美しい町並みを静岡市は再三に渡り拡張したがったが、丸子丁字屋の一帯は現在でも保たれている。だが、「丸子池田線」の進捗とともに抜け道として利用する車は増えている。「丸子池田線」が開通すれば、旧道を通り抜ける車は大幅に増えるだろう。そして、待っているのは旧道の拡幅、直線化、家の後退である。歴史を刻んできた“古き道”は、単なる田舎の往来の激しい市道となってしまうのだ。静岡市は何と拡幅のために街道の松並木さえ切り倒してしまう。バカバカしいことに、小学生の陳情を受けて、僅かばかり松を残すのだという。それが“美談”となる滑稽さに気づかないとは。必要なのは松を残す、事ではなく、松並木を含めて道を、町を守る事なのだが。


その一番のアオリを喰らうのが、「丁字屋」である。丁字屋は江戸の昔より多くの旅人に親しまれてきた名物とろろ汁の店。広重の絵でもお馴染みの茅葺き屋根は健在で、週末ともなれば多くの観光客が訪れ、写真に風景を納めていく。

その丁字屋の面する道が拡幅され、車の往来が激しくなったらどうなるだろう。
おそらく、静岡市は、「歩道を整備し、散策する旅行者の安全を確保できるようにします」というだろう。丁寧にも、石畳張りの歩道にして、木に擬した柱を立て「丸子宿」とか「丁字屋そこ」なんて札も出来るかもしれない。


だが、彼らは町の本質がわかっていない。


“古き道”と共にあった“古き町”とは、道を媒介に成り立ってきた。道を挟んで向かい合う家々が繋がってきたのだ。拡幅した自動車の往来の激しい道は、その向かい合わせの関係を絶ってしまう。道が古き町を分断し潰してしまうのである。丁字屋も例外ではない。古き町の構成要素として存在してきた丁字屋。旧道やその町並みと店は不可分の存在であり、拡幅整備された道にあっては、単なる古めかしい建物でしかなくなる。
想像して欲しい、広い歩道の付いた二車線道路。車が行き交う道沿いに立つ茅葺き小屋。それは、まったくそぐわない。滑稽な異物でしかない。


札幌の時計台といえば、日本三大ガックリだそうだが、それも当然だろう。時計台は、それがあった時代や町、生活から切り離されているのだから。風景を守るとは、個別要素だけ維持してもダメである。その全体を、関係性を守らなければ意味がないのだ。


多くの観光客を楽しませ、郷土の誇りであった丁字屋。それは「丸子池田線」の開通と共に事実上失われる。
市長が朝日新聞に投稿してまで維持を願う「道路特定財源」によって。
悪化する一方の市財政の中で四分の一を占める「土木費」によって。
丸子の商店街や閑静なたたずまいの消滅とともに。


「数多の高速道路などとは違う、“必要な道路”だ」と行政が主張するものによって、静岡市は自滅する。そして、それは日本全体でも同じなのである。


追記:タイトル写真はタップルームの「娼婦風スパゲティ」

*1:強制収用があったかは知らない

*2:呉服町はかなり早くから休日の「歩行者天国」を実施、その区域、時間を拡張している

*3:静岡市は自転車普及率で日本でも最上位

*4:まちづくり三法が制定されたが、現在では行政は郊外出店に積極的