シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

クローバーフィールド(ネタバレあり)

ほとんど情報を仕入れる事もなく見てきました。クローバーフィールド。情報ケチりすぎ何じゃないの?客は五分の入り。


かつてセントラルパークと呼ばれた区域で回収されたビデオカメラとテープ。そこに映っていたのは、“ある出来事”の断片だった。
ニューヨークにある夜突如起こった出来事はいったい何なのか?


映画館でも注意されたが、全編手持ちカメラ(風)の映像。揺れまくり、ぶれまくりの映像が臨場感を煽る。
ニューヨーク・マンハッタン島のホームパーティーの場面から話は始まる。ダラダラと続く昇進転勤のパーティ。どうでもいいような状況が一転する。地震でパニックに陥る会場。何かが起きたのか屋上に上がると突如大爆発が起こる。降り注ぐ瓦礫。慌てて階下に降りると表通りでは巨大な「何か」が転がってくる。そして崩れ落ちるビルが巻き起こす濃密な粉塵。何かがニューヨークを襲ったのだ。


全体の印象は「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」足す「GOZZILA」、でモチーフはあちこちで言及されているが「9.11」だろう。特に襲いかかってくる粉塵の様は、ニュース映像で何度も見た「あの日」のまま。ただし、「あの日」は、日中の明るい世界が一瞬で黒々とした塵と瓦礫に包まれた、という点で、クローバーフィールドを上回る。


ただし、なかなか怪物を見せようとしないのはよかった。日中の映像にすればよかった、という意見も見たけど、たぶん、日中にしたら作り物臭さが強まるだけだろう。怪物も最後までチラ見にしておけばよかったのに、という感じ。


主人公達は映画の主人公らしく、傷つき動けない恋人を救いに危険地帯に向かう。が、数々の困難を乗り切りつつも命を落とす。何が起きたのかも最後まで知らずに。この映画では、最後まで何が起きたのか詳細に示されない。あんまりな結末に、エンドクレジットが流れるまで、観客席は皆凍り付いた状態だった。誰も音一つ立てない。エンドクレジットが流れてから、皆ザワザワとし始めた。スッキリしないものがあったのだろう。自分も同じだったが。それこそが、この映画の真骨頂なのだろうけど。
さて、起きている事を並べてみると、怪物がマンハッタン島に上陸、さんざん暴れ回り米軍の迎撃を受ける、チビ怪物をバラ播き町をパニックに陥れる。そう、これは「GODZILLA」を“一般人”の視点から捉えなおした話なのだ。
映画では大概、観客は全体を見通せるようなポジションに置かれている。怪物が荒らし回るさまも、軍の命令も、指揮状況も、まるで鳥瞰図のように。
だが、クローバーフィールドでは、登場人物は何が起こるのか起きたのか知らされない。観客も同じだ。俯瞰されたパニック。それを強調するのが手持ちカメラの映像である。なぜなら、現在ニュースなどでも一般人のビデオ映像は、事件の一部を切り取って俯瞰的に見せる素材として利用されているからだ。その意味で、この映画は映画史に残るものとなった。


観客がスムースに映像に入り込めるような視点を持ち込んだのは、スタンリー・キューブリックだった。ステディカムを用いてカット割り無しに移動する。彼の監督した作品はどれも臨場感に溢れていた。
そして、戦争映画をそれ以前とそれ以後で一変させた「プライベートライアン」。スピルバーグがやはり手持ちの粗い画面と揺れで緊迫感を出したオマハ海岸の戦闘シーンを見て、自分はキャパの姿を海岸に探してしまった。それほど、真に迫っていた(ように感じた)。
いずれもその後の映画演出に多大な影響を与えている。


エイブラムスは、今後のパニック、サスペンス、ホラー、SF、アクション、映画に“俯瞰されるパニック”という新たな演出の手法を持ち込んだのだ。それだけでもこの映画は評価されるべきだと思う。
そういえば、日本のホラーにもそういうのが無かったっけ。テレビ撮影に偶然映ってしまった恐怖映像、みたいな演出の作品。タイトル思い出せないけど。


それにしても、手持ちカメラの揺れ映像に特殊映像を重ねるって、どうやっているんだろう。ブルーバック合成を考えた場合、あのカメラの自然な揺れさえも、キチンと再現される形で行っていたんだろうか。メイキング映像を是非見てみたいものだ。

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